堅志田城跡
→梅林神社より約1kmの道のりを歩いて行きます。途中は工事のため車両は降りていったほうが良いです。
■戦国時代の肥後国を代表する大規模山城
堅志田城跡は、室町時代の終わり頃から戦国時代に肥後中央部に勢力を拡大していた阿蘇氏の山城です。当時の古文書には、今から約490年前、大永三(1523)年に、初めて城の名前が見られ、天正十三(1585)年に、薩摩・島津氏の攻撃によって落城したことが記されています。
城跡は昭和53年9月25日に町の文化財に指定され、昭和62年から25次の調査がおこなわれています。その結果、堀切14本、郭11ヶ所、畝状縦堀、門跡などを備える、熊本県内でも有数の大規模な山城であったことが判明しました。
また、城跡の発掘調査では、堀立柱建物跡・柵列跡などの遺構や、中国産陶磁器(青磁・白磁・染付)をはじめ、中世の土師器・須恵器や、古銭・小刀・鏑矢などの遺物が出土しました。
最近の調査では、麓集落「栫(かこい)」周辺の伝承地名や神社との関連が明らかになるなど、更なる歴史の解明が進んでいます。
このような、史跡の学術的な価値や、町の取り組みが評価され、平成18年1月26日、城跡は国の史跡に指定されました。
堅志田城は阿蘇惟長(菊池武経)の子、阿蘇惟前の居城として知られていますが、相良氏によって攻めこまれ、落城しました。
その後、島津氏による肥後侵攻のさいには攻防戦の舞台となり、1年の激闘の末に島津の持ち城となりました。1587年(天正15年)、豊臣秀吉による九州征伐がおこなわれると、島津氏は堅志田城を放棄して薩摩に撤退しました。
堀切などの遺構がよく残る熊本有数の山城で、国の...
Read more(2017.2.14 ...
Read more1キロの案内の看板があって山道に入りますが、入口が急な坂道なのでひるみました。 急なのは入口だけですが、1キロずっと車1台しか通れない細い山道です。 2台ぐらい止められる駐車スペースがあり、草も刈ってくれていて階段もあり整備してくれていました。 矢印付きの案内の看板もあり見て回ろうとしたら、階段が崩落したのかブルーシートがされてい...
Read more