静岡県三島市にあり、箱根8里といい三島から小田原までをいい、箱根越えでいちばんの難所でありました。箱根峠は天下の剱といわれ、東海道1の難所である場所です。その箱根峠の入口の三島に山中城跡はあります。 現在は国道1号線ぞいにあって、東海道からの敵の侵入を防ぐため、北条家の小田原城を守る支城🏯の1つです。元は元禄年間「1560」年後北条氏か築城しました。そのご天正17年豊臣秀吉と不仲になった北条氏政は秀吉の小田原攻めに備え急遽堀、岱崎出丸を整備して、天正18年「1590」年3月29日、増築が不完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受け北条軍は4千で、圧倒的な兵力の差で半月で落城しています。
山中城跡は本丸、北の丸、二の丸、に 西ノ丸、三の丸、岱崎出丸、池(うまの水)や井戸(人の飲料水)、兵糧庫跡など比較的綺麗に残ってます。特徴的なのが、石垣は1つも使われてないです。土だけで土塁、土橋、障子堀ができています。特に有名なのが畝堀、障子堀です。各丸の間に2メートルの高さ、9メートルの間隔、各丸に垂直に畝堀「うねぼり」や畝堀かいくつも重なった障子堀「しょうじぼり」が関東ローム層の赤土「関東ローム層は火山灰が風化して粘土状になって大変滑りやすい土のこと」で滑りやすい土でつくられています。各丸の周りは土塁で囲われいて、各丸の間が畝堀、障子堀が掘られいます。よくワッフル🧇に例えられますが、縦横の軸が少しずれています。普通の堀よりも敵が障子堀を駆け上がったり、降りたりする必要があり時間を要する間に撃たれてしまいます。堀より強力ななもので、関東ローム層がさらに鉄壁ななものにしています。秀吉はこの畝堀、障子堀に大変攻めにくさを感じましたので、その後に大阪城の三の丸、山形の米沢城、島根県の松江城でも、障子堀が確認されてます。また都の安全の為の御土居を作ってます。西ノ丸からは富士山を見ることができます。大変風光明美な場所になります。近くにある宗閑寺には、豊臣側右側、左側に北条方の墓が並んであります。勝者の豊臣側の墓のほうが少し大きくつくってましたね。
秀吉は小田原攻めは天下統一の最終段階の戦いです。この戦いは、秀吉軍21万、北条軍5万、海からは九鬼嘉隆など、陸からも全方位、小田原城🏯は囲まれています。この時の有名なエピソードは秀吉の全線陣城を石垣山につくり、これが石垣山城「一夜城」ですが、これには言い伝えがあり、作るのに4万人、80日かけていますが、骨組みをつくり、白紙で貼り、完成するや周りの木々を一変に切ることで、これが北条からみて1夜で出来た城にみえたことでした。これで北条の戦意が落ちたと言います。また陣城は普通一時的なたてものなので、土塁で囲む程度なんですが、石垣城は石垣が頻繁につかわれていて、これは陣城では初で、秀吉の力の入れようを感じます。1589年「天正17年」11月24日秀吉が北条に戦線布告を行ってから7月5日北条氏直が降伏するまで、半年以上に渡り行われました。
アクセスは、新幹線三島駅から東海バス🚌30分山中城跡前下車、バス停の隣りにトイレがありその横から見学でき、約2時間の工程です。バス停の前には簡単なうどんやそばなどが食べられる食堂があります。御城印も販売してます。 三島駅南口側に観光案内所があり、東海バスの1日乗車券1100円があり...
Read more東京近郊からそれほど遠くないけど行きにくいお城に行ってきました。 公共交通機関だとかなり大変なので、バイクツーリングを兼ねて行きました。
まずは100名城スタンプを。 山中城氏案内所・売店の前に置かれていますが、中にも置かれていました。 せっかくなら店内で落ち着いて押した方が良いかと思います。 店内ではご城印も販売しています。 3種類売られていたので、3種類とも購入しました。
その隣には、障子堀ワッフルが1個200円で売られています。 あとで案内の人に本物の障子堀とワッフルを並べて写真撮る人が多いですよと言われ、購入しておけばよかったと後悔しました。 障子堀を観に行く前にワッフルの購入を忘れずに。
道を渡って山中城へ。 何処から入るのか分からなかったので、案内のボランティアの方にお聞きしたら案内もしてくれることになりました。 やはりしっかりとしたそのお城の案内があるといいですよね。 お城に入るといきなり土塁と空堀があります。 これはなかなかのお城です。 さらに進むと池があります。 こちらの池は馬などの水だとかで、人間用のため池はもう少し上にあるそうです。 ここから急坂を上っていきます。 現状は草がしっかり生えていますが、小田原攻めの時は土。 これがものすごい滑ったそうです。 長く続く土塁も立派です。
ちょうど、センゴク権兵衛という漫画を読んで、山中城の戦いを学んだところだったので非常に役立ちました。 さらに進んで本丸を横切って、有名な堀を観に行きます。
西の丸物見台へ。 西の丸は結構な高台になっていて、見晴らしがよいです。 ここから手前にある西櫓が見えますが、周りは土塁に囲まれていますが、こちらの方だけ土塁が無いのだとか。 西の丸の方が高い位置にあり、もし西櫓が占領されても、西の丸から攻撃できるようにするためとの事です。
そこから、横の西の丸畝堀を見ながら西櫓へ。 この間にあるのが有名な障子堀です。 正確には堀障子というようですが、いろいろな資料、看板も障子堀。 まぁ、どちらでもいいか。
これが火山の赤土だと滑って登れないのだとか。 確かに厳しいかもしれません。
それでもこの方面から徳川家康など4万の兵で攻撃を受け、4千の守備兵では半日しか持たず落城したのだとか。
当時は西の丸から橋が架かっていたり、この先も橋があったそうで、西櫓のあった場所が角馬出になっていたのだとか。 武田は丸馬出ですが、北条は角馬出。 特徴的ですね。
景色が良ければ富士山や駿河湾なども見えるのだとか。 残念ながら行った日は強風および小雨。全く景色は見えませんでした。
そのあと宗閑寺に行きました。 こちらのお寺は山中城の副将であった間宮康俊(まみや...
Read moreIt is a nice attraction and it is free. However, but the transport to get there is a nightmare 😔, Tokai bus N65 only run once per hour (week day) but the bus is small and (especially tons of people go to Sky Walk and many other attraction along the route!). People can wait for hours to get on this bus, the current capacity cannot...
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