nice place to remember history. nearby shrine is also nice. Several ume and sakura trees, also momiji so the seasonal flowers and leaves are beautiful, especially when it's changing colors. there is park nearby and...
Read more堀川運河は江戸初期に遠賀川の氾濫対策、農地開墾を目的として、藩主黒田長政の命により家臣の栗山利章(大膳)が着工した人工河川。その後大膳は黒田事件を起こし南部盛岡藩に蟄居され長政も死去し工事は頓挫したが、百年以上を経て六代継高が工事を再開1762年に開通した史実があります。ここ吉田車返しの切貫は後期最大の難工事でノミや槌での人力で岩盤を切り開いたそう。大膳の名は中間市の大膳橋や折尾大膳の地名の他、私が子供だった頃までは現在の吉田小学校辺りの山中に現ルートに変更される前の開削跡が大膳堀と呼ばれる池として残っていました。半世紀前だけど。何を隠そう私の実家は河守神社近くの堀川沿いで、ガキの頃は山の中を駆けずり回ってたからしっかり覚えてます。そうそう今週末10月7日のブラタモリで車返しの切貫を取り上げるみたい。カット写真見て水巻町の端っこの◯◯さんちの下じゃねー...
Read more水巻町吉田地区ある公園。 堀川の歴史を知り、功績を偲ぶことが出来る出来る公園です
堀川は、遠賀川から中間市・水巻町、八幡西区折尾を通って洞海湾までを繋ぐ全長約12kmにわたる人工の運河で 治水と水運、灌漑用水の確保などを目的に、元和7年(1621年)、福岡藩初代藩主黒田長政の命により開始。 しかし、2年後、長政公が無くなったことで工事は中断。 それから130年経って、福岡藩6代藩主黒田継高公が工事を再開させ、宝歴12年(1762年)中間の唐戸の完成を持って全線開通となりました。
洪水対策に田畑の開拓、年貢米の輸送にも利用され、明治以降は、石炭の輸送に使われ多くの船が行きかっていました。
公園は、特に難工事であった「車返しの切り通し」 のそばにあり、陶板で描かれた歴史...
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