天宮神社(あめのみやじんじゃ)
鎮座地 静岡県周智郡森町天宮576
御祭神 ★主祭神 田心姫命(タゴリヒメノミコト) 端津姫命(タギツヒメノミコト) 市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
指定文化財 十二段舞楽 (国指定重要無形民俗文化財) 本殿・拝殿・棟札一枚 (県指定文化財) 御神木の竹柏 (県指定天然記念物)
周智郡森町天宮字宮山(あめのみやあざみややま)の小高い丘上に鎮座されます。 この地は、古代には縄文時代の集落(天宮遺跡)があり、約5.000年前(縄文時代中期前葉)の物とされる土器が発掘されています。 また、境内には古墳時代の円墳2基からなる宮山古墳群も所在します。
神社は、欽明天皇(539〜571)の時代から続き、1.500年の歴史があります。 延喜式神名帳にも「河内神社」(こうちのかむやしろ)として記されています。
★十二段舞楽について
図説森町史によると、遠江一宮(小國一宮社・小國社の摂社天宮)の舞楽は、本来寺院方の行事であり蓮華寺を中心とした、一宮一山組織(両社の神人や天台系寺院の僧侶)と国司・守護・地頭などの武士層がこれに関係し、遠江国の豊穣や国家の安泰を祈って両社の十二段舞楽は行われて来た。 両社の舞楽は、単独のものでは無く、一宮という地域を金胎両部の思想に二分し、これを左方・右方にも意味付けて両社の舞楽を番(つがい)とすることにより、遠江国の豊穣と国家の安泰を祈る一宮の曼陀羅を形成させた。
近隣の神社を調べる際に、延喜式神名帳を確認しましたが、天宮神社の記載がありません?延喜時代は、まだ小國神社の摂社であった裏付けかも知れません。
しかし、天宮神社は小國神社創立以前の古墳時代には「雨宮神社」であったと言う伝説もあり、更に長い歴史がある社やも知れません。実際、5.000年前には縄文...
Read moreこの辺りでは珍しい宗像三女神を祀る神社。境内にある木々を見るだけで歴史ある神社と分かる。
小碓(おうす)・(大和武尊)の子孫である太田君と森君の一族が、祖先の遺跡を探し求め、この地に筑後から宗像三女神を勧請したことに始まるとされる。
この様な神社に705年(慶雲2年)、神官として赴任した藤原綾足が京の十二段の舞楽を奉納した事に始まる舞楽が現在まで伝承されていることに素直に驚く。 この神社前の川は太田川、たぶん大和武尊の子孫から名付けた川の名前だろう。その太田川を利用した航行安全を祈り宗像三女神を迎えたのであろうか?その子孫が定住した場所が森町だと思われる。 ところで大和武尊の伝説は日本中にあるが、近くの湖西市にある熱田神社を訪ねたら、大和武尊が東征する際に、陣を構えた地との伝承がある。 湖西から森町へ来て、しばらくこの地に留まったのだろう。ゆく先々で子孫を残すべき使命を負い、努力した成果の産物的神社とも言える。 小碓(大和武尊)は双子であったと古事記にもあり、兄は大碓命(おおうすのみこと)で、愛知県豊田市郊外に猿投神社があり、その山腹で毒蛇に咬まれ亡くなったとされ、現在でも宮内庁...
Read more天宮神社(あめのみやじんじゃ)は静岡県森町に鎮座する神社で、約1500年前の欽明天皇の時代に九州筑紫国(現在の福岡県)の宗像大社から宗像三女神を勧請したのが始まりとされています。奈良時代から平安時代にかけて十二段舞落で有名な小国神社とともに創建されました。 天宮神社の歴史の概要 ⦿創建約1500年前、欽明天皇の時代に日本武尊の子孫である太田君と森君の一族が筑紫国から宗像三女神を勧請して創建。 ⦿社殿の造営 室町時代に社殿が焼失しましたが、徳川家康や綱吉の支援により、現在の社殿が造営されました。 ⦿重要無形民俗文化財 天宮神社の十二段舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。 その他 ⦿本殿と拝殿は、1697年に徳川綱吉の命により、幕府棟梁、甲良豊前宇賀によって造営されました。 ⦿天宮神社は、交通安全、家内安全、安産、子宝、縁結びなどのご利...
Read more