【 2022/10/30(日)拝観 】 無料で拝観できる👀「毛呂山(もろやま)町歴史民俗資料館」の展示室は決して広くはありませんが、内容がとても濃く、一通り見終えたら、balloonさん同様、約1時間滞在していました。
貴族の名家・藤原氏(ふじわらし)の流れをくむ高貴(こうき)な血筋(ちすじ)である毛呂氏(もろし)一族の基盤を作った毛呂季光(もろ すえみつ)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕(つか)え、奥州征伐(おうしゅうせいばつ)へ参陣するなど、側近として取り立てられたそうです。 頼朝が季光(すえみつ)の人柄と力量に厚い信頼を寄せていたということが、鎌倉幕府の公式記録書(歴史書)である「吾妻鏡(あずまかがみ)」に記されています。
豊臣秀吉の全国平定の総仕上げ、小田原攻めの際、北条氏(ほうじょうし)の傘下にあった毛呂氏(その時の当主は毛呂顕季 もろ あきすえ)は八王子城🏯に立て籠もり、多勢の豊臣軍に圧倒され、北条氏と共に討死(うちじに)し、毛呂氏の歴史は幕を閉じました。
毛呂氏の歴史の他、木造伝釈迦如来坐像や十一面観音菩薩坐像といった仏像、縄文土器、中世に造られた石像物である「板碑(いたび→板石塔婆 いたいしとうば)」、渋沢栄一と毛呂山のつながりについて展示されたコーナー、毛呂山の偉人→武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や医師:権田直助(ごんだ なおすけ)のコーナー、民俗芸能のやぶさめ、養蚕(ようさん)の用具が展示されたコーナー、古墳の模型など、盛り沢山な内容でした❗️✨😁👍
行きは東武越生線(とうぶおごせせん)の「武州長瀬(ぶしゅうながせ)駅」北口から徒歩で向かい🚶♀️(約30分)、帰りは埼玉医科大学 川角(かわかど)キャンパス近くにある「延慶の板碑(えんぎょうのいたび)」を見学した後、鎌倉街道沿いに「川角(かわかど)駅」まで歩いてみました🚶♀️💦(約35分)
兄が越生駅に勤務していて、弟が川角駅近くの施設に入所しているので、東武越生線には縁があり、毛呂山町歴史民俗資料館はGoogle...
Read moreYou can easily experience the prehistoric culture of this area. It may have once been a cultural centre, but it is interesting to think that over time as civilisation developed that centre shifted elsewhere. In other words, we have overcome something that was insurmountable...
Read more人口が10万人以上ある「市」でも図書館建物の間借りだったり、そもそも歴史博物館自体が存在しない自治体も多い中で、毛呂山「町」は人口3万5000人ながら立派な独立した歴史民俗博物館を持ち、展示内容もなかなか充実しています。
しかもタダ! 毛呂山町が自らの歴史と文化に誇り持ち、少なくない文教予算を割いている事が分かります。ワタシの住んでいる某「市」など人口が13万人もあるのに、この種の施設は一切無いんですよね・・・是非とも見習って欲しいものです(笑)。
毛呂山町と表記するぐらいですから、地元の名族「毛呂氏」と源頼朝の側近中の側近だった毛呂季光は外せませんよね(笑)。 ハイ、もちろん詳しい展示があります。
毛呂氏は元々は藤原氏の流れで京都の文化風俗にも造詣が深く、周りの無骨な坂東武士とは少し毛色が違っていました。それで毛呂季光と京都育ちの源頼朝とは話が合い、頼朝にとっては数少ないホッと出来る存在として重用されたのかもしれません。
あと埼玉と言ったら、秩父産の青みがかった緑泥片岩を用いた石造構造物である「板碑」の本場です。一種の供養塔で主に関東を中心に鎌倉から室町時代に作られ、江戸時代には急速に廃れてしまうので中世を代表する遺物となっています。さすが地元(笑)...
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