HTML SitemapExplore
logo
Find Things to DoFind The Best Restaurants

No.26 Kongouchouji Temple — Attraction in Muroto

Name
No.26 Kongouchouji Temple
Description
Kongōchō-ji is a Shingon Buddhist Temple located in Muroto, Kōchi, Japan. It is the 26th temple of the Shikoku Pilgrimage.
Nearby attractions
Nearby restaurants
Nearby hotels
Minshuku Urashima
Japan, 〒781-7107 Kochi, Muroto, Motoko, 甲1901-4
Related posts
Keywords
No.26 Kongouchouji Temple tourism.No.26 Kongouchouji Temple hotels.No.26 Kongouchouji Temple bed and breakfast. flights to No.26 Kongouchouji Temple.No.26 Kongouchouji Temple attractions.No.26 Kongouchouji Temple restaurants.No.26 Kongouchouji Temple travel.No.26 Kongouchouji Temple travel guide.No.26 Kongouchouji Temple travel blog.No.26 Kongouchouji Temple pictures.No.26 Kongouchouji Temple photos.No.26 Kongouchouji Temple travel tips.No.26 Kongouchouji Temple maps.No.26 Kongouchouji Temple things to do.
No.26 Kongouchouji Temple things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
No.26 Kongouchouji Temple
JapanKochi PrefectureMurotoNo.26 Kongouchouji Temple

Basic Info

No.26 Kongouchouji Temple

523-523 Motootsu, Muroto, Kochi 781-7108, Japan
4.3(281)
Open 24 hours
Save
spot

Ratings & Description

Info

Kongōchō-ji is a Shingon Buddhist Temple located in Muroto, Kōchi, Japan. It is the 26th temple of the Shikoku Pilgrimage.

Cultural
Family friendly
attractions: , restaurants:
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 887-23-0026
Website
88shikokuhenro.jp

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Muroto
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Muroto
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Muroto
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.
logo

Reviews of No.26 Kongouchouji Temple

4.3
(281)
avatar
5.0
4y

多くの特記すべき事を内包する寺院です。金剛頂寺の宿坊で住職の奥さんから色々と教わりました。 その1 【寺記】によれば『開基高祖 弘法大師。日本最初之草創。』とあり、また【密教大辞典】にも『(弘法大師が)入唐帰朝の後、大同二年丁亥一寺を創して龍頭山光明院 金剛頂寺と名け給ふ』とあります。 ・・・弘法大師が最初に創設した寺院が金剛頂寺でしょうか?但し 大同元年(806年)10月、空海は博多津に帰着し東長寺を開基したともあります・・・

その2 現在までの歴代住職の名前が残っており(残っていない寺院も多い)、その間には多くの傑物の住職が排出されました。 開基は空海ですが第2世の智光は【弘法大師伝】では、『世に隠れたる聖人二人あり。 略 一人は金剛頂寺の智光上人。 略 智光は行力第一の聖人』とあり大師入定したのを知ると苦行に入り絶命したと伝えられます。 第11世 連侍 は【捨遺往生伝】によると高野山からの帰り道 体調を崩され「南無三身即一阿弥陀如来、南無大慈大悲観自在菩薩、南無弘法大師遍照金剛菩薩」と言われ入滅しました。これが最初の「南無大師遍照金剛」ではないか と言われます。 第16世 覚有 の頃は寺領が3500石 となり現在の室戸市全域にわたっており、京都 東寺にも負けない寺領でした。

その3 胎蔵界曼陀羅は大日経の教えもとに書かれたもので金剛界曼荼羅は金剛頂経の教えをもとに書かれたものです。 金剛頂寺は最初は金剛定寺と言われたそうですが、本寺院には日本最古の(空海と同時代の)大日経と金剛頂経(真言宗根本経典)が揃って残されています。ところで空海は中国から新訳の経247巻、梵字の真言等44巻、経の注釈170巻の他に、仏像、曼荼羅、法具類などを持ち帰ったという目録を、提出したのですがその中には大日経がありませんでした。これは、提出したら国のものになるから手元に置こうとして目録から外したのではないか と言われます。

その4 一粒万倍の釜 これは空海が一粒の米を釜に入れて祈念したところ万倍に増え釜を満たしたという伝説の釜ですが、本当は昔、金剛頂寺に180人を越える修行僧がおり、その修行僧が米を炊くのに使用した名残ではないかと考えられています。

その5 空海が19歳の頃、この金剛頂寺で修行をしていると天狗などが来て邪魔をしたそうです。そこで、空海は天狗たちと問答し、天狗などを足摺岬へと追い払いました。そして、再び天狗たちが戻って来れないようにと、自分の像を彫ったとの逸話があり、通常は南向きであるはずの大師堂が、金剛頂寺では西(足摺岬)を向いて建っているそうです。

その6 多くの寺には老年の大師像を祀っているが、金剛頂寺には青年である大師の半射像があります。鎌倉時代 京都の神護寺を再建する際、性仁法親王は空海が36歳の時この神護寺に入山されたので、若々しい空海の像が良いと考えられ仏師をこの金剛頂寺に派遣 模写させその像を祀っています。

その7 詳細は、室戸岬の不動岩に書きますが、空海に明星が入り悟った場所は御厨人窟ではなく金剛頂寺の飛び地である不動岩ではないか との説もあります。

その8 詳細は 金剛頂寺 宿坊に書きますが、宿坊の料理はとてもおいしく、また上記のような話も...

   Read more
avatar
5.0
7y

Best temple stay shukubo I’ve had yet. Best value for money in general. Amazing food, perhaps some of the best I’ve had in Japan. Had a beautiful room with a view that was very comfortable. The 6am prayer ceremony was nice and intimate. The temple grounds themselves are magnificent. I’d come back to Shikoku just to stay here...

   Read more
avatar
5.0
6y

I've stayed at fifteen or twenty temples on the Shikoku Pilgrimage and at Koyasan. This had the most beautiful rooms and the most wonderful dinner of any of them. (I LOVE fish, especially sashimi and katsuo no tataki.) (Don't eat there if you don't like fish!) The view was...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next

Posts

SUN WUKONGSUN WUKONG
多くの特記すべき事を内包する寺院です。金剛頂寺の宿坊で住職の奥さんから色々と教わりました。 その1 【寺記】によれば『開基高祖 弘法大師。日本最初之草創。』とあり、また【密教大辞典】にも『(弘法大師が)入唐帰朝の後、大同二年丁亥一寺を創して龍頭山光明院 金剛頂寺と名け給ふ』とあります。 ・・・弘法大師が最初に創設した寺院が金剛頂寺でしょうか?但し 大同元年(806年)10月、空海は博多津に帰着し東長寺を開基したともあります・・・ その2 現在までの歴代住職の名前が残っており(残っていない寺院も多い)、その間には多くの傑物の住職が排出されました。 開基は空海ですが第2世の智光は【弘法大師伝】では、『世に隠れたる聖人二人あり。 略 一人は金剛頂寺の智光上人。 略 智光は行力第一の聖人』とあり大師入定したのを知ると苦行に入り絶命したと伝えられます。 第11世 連侍 は【捨遺往生伝】によると高野山からの帰り道 体調を崩され「南無三身即一阿弥陀如来、南無大慈大悲観自在菩薩、南無弘法大師遍照金剛菩薩」と言われ入滅しました。これが最初の「南無大師遍照金剛」ではないか と言われます。 第16世 覚有 の頃は寺領が3500石 となり現在の室戸市全域にわたっており、京都 東寺にも負けない寺領でした。 その3 胎蔵界曼陀羅は大日経の教えもとに書かれたもので金剛界曼荼羅は金剛頂経の教えをもとに書かれたものです。 金剛頂寺は最初は金剛定寺と言われたそうですが、本寺院には日本最古の(空海と同時代の)大日経と金剛頂経(真言宗根本経典)が揃って残されています。ところで空海は中国から新訳の経247巻、梵字の真言等44巻、経の注釈170巻の他に、仏像、曼荼羅、法具類などを持ち帰ったという目録を、提出したのですがその中には大日経がありませんでした。これは、提出したら国のものになるから手元に置こうとして目録から外したのではないか と言われます。 その4 一粒万倍の釜 これは空海が一粒の米を釜に入れて祈念したところ万倍に増え釜を満たしたという伝説の釜ですが、本当は昔、金剛頂寺に180人を越える修行僧がおり、その修行僧が米を炊くのに使用した名残ではないかと考えられています。 その5 空海が19歳の頃、この金剛頂寺で修行をしていると天狗などが来て邪魔をしたそうです。そこで、空海は天狗たちと問答し、天狗などを足摺岬へと追い払いました。そして、再び天狗たちが戻って来れないようにと、自分の像を彫ったとの逸話があり、通常は南向きであるはずの大師堂が、金剛頂寺では西(足摺岬)を向いて建っているそうです。 その6 多くの寺には老年の大師像を祀っているが、金剛頂寺には青年である大師の半射像があります。鎌倉時代 京都の神護寺を再建する際、性仁法親王は空海が36歳の時この神護寺に入山されたので、若々しい空海の像が良いと考えられ仏師をこの金剛頂寺に派遣 模写させその像を祀っています。 その7 詳細は、室戸岬の不動岩に書きますが、空海に明星が入り悟った場所は御厨人窟ではなく金剛頂寺の飛び地である不動岩ではないか との説もあります。 その8 詳細は 金剛頂寺 宿坊に書きますが、宿坊の料理はとてもおいしく、また上記のような話も聞けとても良かったです。
Jared Lee GuyerJared Lee Guyer
Best temple stay shukubo I’ve had yet. Best value for money in general. Amazing food, perhaps some of the best I’ve had in Japan. Had a beautiful room with a view that was very comfortable. The 6am prayer ceremony was nice and intimate. The temple grounds themselves are magnificent. I’d come back to Shikoku just to stay here a few nights.
原田真原田真
テレビで見るような景色があります。 太平洋と漁業の街みたいな。 【金剛頂寺の歴史・由来】 山門 室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。 本堂 次の嵯峨天皇(在位809〜23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823〜33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。 室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。 (HP抜粋)
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Muroto

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

多くの特記すべき事を内包する寺院です。金剛頂寺の宿坊で住職の奥さんから色々と教わりました。 その1 【寺記】によれば『開基高祖 弘法大師。日本最初之草創。』とあり、また【密教大辞典】にも『(弘法大師が)入唐帰朝の後、大同二年丁亥一寺を創して龍頭山光明院 金剛頂寺と名け給ふ』とあります。 ・・・弘法大師が最初に創設した寺院が金剛頂寺でしょうか?但し 大同元年(806年)10月、空海は博多津に帰着し東長寺を開基したともあります・・・ その2 現在までの歴代住職の名前が残っており(残っていない寺院も多い)、その間には多くの傑物の住職が排出されました。 開基は空海ですが第2世の智光は【弘法大師伝】では、『世に隠れたる聖人二人あり。 略 一人は金剛頂寺の智光上人。 略 智光は行力第一の聖人』とあり大師入定したのを知ると苦行に入り絶命したと伝えられます。 第11世 連侍 は【捨遺往生伝】によると高野山からの帰り道 体調を崩され「南無三身即一阿弥陀如来、南無大慈大悲観自在菩薩、南無弘法大師遍照金剛菩薩」と言われ入滅しました。これが最初の「南無大師遍照金剛」ではないか と言われます。 第16世 覚有 の頃は寺領が3500石 となり現在の室戸市全域にわたっており、京都 東寺にも負けない寺領でした。 その3 胎蔵界曼陀羅は大日経の教えもとに書かれたもので金剛界曼荼羅は金剛頂経の教えをもとに書かれたものです。 金剛頂寺は最初は金剛定寺と言われたそうですが、本寺院には日本最古の(空海と同時代の)大日経と金剛頂経(真言宗根本経典)が揃って残されています。ところで空海は中国から新訳の経247巻、梵字の真言等44巻、経の注釈170巻の他に、仏像、曼荼羅、法具類などを持ち帰ったという目録を、提出したのですがその中には大日経がありませんでした。これは、提出したら国のものになるから手元に置こうとして目録から外したのではないか と言われます。 その4 一粒万倍の釜 これは空海が一粒の米を釜に入れて祈念したところ万倍に増え釜を満たしたという伝説の釜ですが、本当は昔、金剛頂寺に180人を越える修行僧がおり、その修行僧が米を炊くのに使用した名残ではないかと考えられています。 その5 空海が19歳の頃、この金剛頂寺で修行をしていると天狗などが来て邪魔をしたそうです。そこで、空海は天狗たちと問答し、天狗などを足摺岬へと追い払いました。そして、再び天狗たちが戻って来れないようにと、自分の像を彫ったとの逸話があり、通常は南向きであるはずの大師堂が、金剛頂寺では西(足摺岬)を向いて建っているそうです。 その6 多くの寺には老年の大師像を祀っているが、金剛頂寺には青年である大師の半射像があります。鎌倉時代 京都の神護寺を再建する際、性仁法親王は空海が36歳の時この神護寺に入山されたので、若々しい空海の像が良いと考えられ仏師をこの金剛頂寺に派遣 模写させその像を祀っています。 その7 詳細は、室戸岬の不動岩に書きますが、空海に明星が入り悟った場所は御厨人窟ではなく金剛頂寺の飛び地である不動岩ではないか との説もあります。 その8 詳細は 金剛頂寺 宿坊に書きますが、宿坊の料理はとてもおいしく、また上記のような話も聞けとても良かったです。
SUN WUKONG

SUN WUKONG

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Muroto

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Best temple stay shukubo I’ve had yet. Best value for money in general. Amazing food, perhaps some of the best I’ve had in Japan. Had a beautiful room with a view that was very comfortable. The 6am prayer ceremony was nice and intimate. The temple grounds themselves are magnificent. I’d come back to Shikoku just to stay here a few nights.
Jared Lee Guyer

Jared Lee Guyer

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Muroto

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

テレビで見るような景色があります。 太平洋と漁業の街みたいな。 【金剛頂寺の歴史・由来】 山門 室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。 本堂 次の嵯峨天皇(在位809〜23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823〜33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。 室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。 (HP抜粋)
原田真

原田真

See more posts
See more posts