光林寺の由緒書によれば、かつて寺の近くにある湧水の近くに暮らしていた老夫婦が唯一の男子を失った悲しみから、この世の無常を感じ、庵を建てて阿弥陀立像を安置し、日夜お念仏を唱えて過ごしていました。この立像は非常に優美で、夜毎に光明を放つことから「光明応」と呼ばれるようになりました。老夫婦は長寿を全うし、望んでいた往生を遂げた後、近隣の人々が彼らの一子の墓を手厚く守ったと伝えられています。
嘉元元年(1303年)に広阿大善和尚が草庵を再建し「光明庵」として開基し、天文16年(1547年)には春虎和尚が庵を現在の場所に移築して「光林寺」と改称しました。本堂には阿弥陀座像が建立され、老夫婦の大切にしていた阿弥陀立像はその胎内に安置されているとのことです
光林寺は、老夫婦の信仰とその歴史を今に伝え、地域の人々に親しまれてきました。特に春には美しい桜が咲き誇り、訪れる人々を魅了します。
寺の入り口は少しわかりにくいですが、共和簡易郵便局付近に門があり、そこから車でのアクセスが可能で先に駐車場があります。歴史あるこの寺院を訪れることで、当時の人々の信仰心とその時代背景を感じ...
Read more個人的には、お寺のサクラで一番。美しいという形容詞だけではまるで足りません。境内は、数本のシダレザクラがあるだけですが、数は問題になりません。出店はありませんので俗化されていません。純粋にサクラを楽しむ事が出来ます。お気に入りの写真スポットは、門前の石階段を登らず、左の舗装された車道を進みますと、右手法面に菜の花が毎年咲いています。菜の花と見上げるような感じで降り注ぐシダレザクラが圧巻です。もうひとつは、境内前の地蔵さん裏手から見上げるシダレザクラが大好きです。 山門脇の大木は、樹齢470年程の歴史があるそうで、長野市の天然記念物に指定されています。 また、光林寺さんは、川中島の戦いで有名な武田信玄が、当地に進軍した際、全線基地にしたと伝えられているそうです。 一度、澄みきった爽やかな青空から降りそそぐ花の...
Read moreしだれ桜が数本あり、とてもキレイです。 山門には変わった装飾が多く、鐘楼には武田紋、本堂には徳川紋がついていました。
階段前に数台の駐車場と、もう一段上の広い駐車...
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