❶【参考 桃瀬の水牢 日本刑事史跡散歩】
沼田藩主 真田信澄(※1)の命をうけた横尾の代官、高橋七郎兵衛が年貢米を滞納した者をいれて懲らしめた という水牢の跡。
当時の規模は約12m四方で、深さが70㎝、周囲を塀で囲み、一方に扉の付いた牢になっていた。 現存するのは小さな池のような形と、牢の周囲に在った石垣の一部、船底石等である。
水牢には年貢滞納者の妻子等がいれられることもあり、その泣き叫ぶ声を聞かせて、何とか工面しようと思わせるのがねらいであったらしい。水は首の高さまでいれられたという。
※1 真田伊賀守信利 一般的に「信利」で知られる。寛文10年まで「信澄」、延宝2年まで「信俊」、翌年から「信直」と改名に次ぐ改名をしている 3万石の領地を14万石に水増し検地し、「伊賀桝(いがます)」とよばれるバカでかい桝を考案して年貢を厳しく徴収した。
杉本茂左衛門地蔵と同時期のものである。後、杉本茂左衛門による将軍への訴えにより改易となる。
※写真は 磔茂左衛門 : 周囲解放の聖者 (上毛偉人叢書 ;...
Read moreI get a weird feeling rating a pool used for torture. I know there’s history behind it and remembering is important - but there’s a lot of pain...
Read moreこの水牢は戦国時代から江戸時代にかけて使われたもので、年貢を滞納した百姓を捕らえて入れたのだそうです。 真冬に女は胸まで水を入れ、子供は背負わせ、男は首まで浸からせたといいます。 話を聞いただけで、胸を打たれる思...
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