この地で戦前に行われた京都大学による26体の遺骨採集は、実のところ植民地における墓場荒らしという蛮行だったのでしょうか? 遺族側である第一尚氏の子孫等と、返還に応じない大学との間で、京都地裁においてその所有権を争っているようです。 大学は2021年、せっかくの裁判所からの和解案を拒否してしまいました。 しかし、大学側の言い分は当時の証拠資料からも正当性に欠けていることが判明し、裁判が機能するかぎり、結局は"返還に向かっての和解"に応じることになるのでしょう。
それにしても、沖縄に被されたいつもの矛盾。そのやるせなさに、疲れ押し潰されそうに。 事態が好転し、沖縄のsoulを取り...
Read moreムムジャナ墓と呼ばれ、墓名の示すように沢山の按司クラスの人物を葬った墓である。 『中山世譜』に「監守貴族」とあるので第一尚氏の監守貴族が葬られているのであろう。 明治20年代の第一墓所から第四墓所まで修復がなされ、石積み囲いの状態で今でも残っている。 第一墓所には漆塗りの木棺があったのを修復し歴史文化センターに展示してある。 中には北山王の墓として拝む人達もいる。 墓は半洞窟の内にザフンと呼ばれる材木を使い家型の建物をつくり、小型の木棺に集骨して入れてあった。 今帰仁村指定の文化財で...
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