ここを訪問する前に、七尾市が作成した「よみがえる戦国の名城(七尾城)」をYouTubeでご覧になることを是非お勧めします。 7分程度と短いですし、CG再現された城の規模と精緻な城下町の配置に驚くことと思います。コレを見た後に城跡に行くと感激が何倍にも増しますよ(笑)。 (同じ映像を地元の七尾城資料館でも流しています。)
城郭主要部は麓の大手門跡から歩きで向かうルートもあるのですが、勝率97%を誇る「上杉謙信」でさえ物理的には攻略できなかった峻険な山城であり、本格的な登山になりそうなので、今回は楽をして本丸下駐車場まで車で向かう事にしました(笑)。
謙信も絶賛したという、能登湾を見下ろす本丸からの素晴らしい眺望や石垣の見事さについては他の投稿者の皆様も触れると思いますので、ワタシはこの城で起こった、愛憎うず巻く人間模様をひとつ紹介したいと思います。
現地に行くと、城主である畠山氏座所の本丸を中心に長屋敷跡(ちょうやしきあと)、遊佐屋敷跡、温井屋敷跡といった曲輪が取り巻いている事に気付くでしょう。
長・遊佐・温井は重臣たちの苗字で、この人達がつまらない権力闘争を籠城中に「やらかした」せいで難攻不落の七尾城は陥落し、謙信に明け渡す結果になったのです。
かつて、この3氏の勢力は拮抗していたのですが、謙信が能登侵攻した当時には親織田派の長氏が筆頭となり、政治外交を主導する立場にありました。 こうした長氏の地位向上を快く思っていなかったのが親上杉派の遊佐氏と温井氏です。
天正5年(1577年)、上杉軍による七尾城包囲から1年が経過し、物資が欠乏し衛生状態の悪化により病気が蔓延して陥落寸前となった城内において遊佐氏と温井氏に謙信から誘いの手が伸びます。
要は「城を渡したら命は取らず、今後も重く用いよう。」というアレですね(笑)。寝返りを決意した遊佐氏と温井氏は、遊佐屋敷に長氏の長老の続連と息子2人を招くと、そこで謀殺してしまいます。それだけではなく長屋敷に突如襲いかかり女子供の区別なく一族を斬殺したのです。その人数は百余人にも及びました。
長一族で生き残ったのは、織田信長に援軍を求めるため城外にいた連龍(続連の三男)と奇跡的に脱出に成功した幼児の菊松丸の二名のみです。 明らかにオーバーキルで、長氏への私怨もあったのかもしれません。連龍が織田軍と共に来援した時には、すでに討ち取られた一族の首は近くの倉部浜で晒されていました。
帰ってきたら裏切りにより城は落ち、父・母や兄の首を見るハメになった連龍の怒りは想像を絶します。 その後まもなく謙信が没すると七尾城は織田勢に奪い返され、連龍による遊佐・温井氏への怒涛の復讐劇が始まるのですが、まぁ城とは直接関係がないので置いておきます(笑)。
要するに本丸周辺は、このような惨劇があった事件現場でもあるのです。昼はともかく、夜に行ったら...
Read moreClear and super fresh air, awesome and grand scenary of Nanao harbour. It's spectacular. Reaching the car park takes a bit of drive along lots of slopes and narrow roads but will be your worthwhile. There are tactically located stone-stacked walls and steep stairs, on the hills surrounded by cedar trees. Very...
Read moreOne of 100 Most Famous Japanese Castle. It was interesting to see the ruins of Nanao Castle and imagine the things back then in their era. The road already opened since June this year. You can choose whether to drive your car or walk the hiking path. But there were impact of typhoon number 19 so some trees...
Read more