南関御茶屋跡は、南関ICの南1.7kmほどの南関町関町の旧豊前街道沿いにあります。
開館時間は午前9時30分~午後4時30分で、入場料は200円です。
南関(なんかん)は、古代には官道が通り、大水駅(おおむつのえき:平安時代の「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に所載の駅)が置かれ、国境警備のための関が設けられたとされる地で、古来、交通の要衝として発展しました。 関所はその後も機能し、現在の地名に通じる「みなみのせき」が定着したといわれています。 道路は、近世においても豊前街道として利用され、江戸時代には参勤交代の道としても大いに利用されました。
南関御茶屋跡は、嘉永5年(1852年)に完成し、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。 古文書によると、それまでの御客屋(南関町公民館付近)が古く狭い上に間取りが悪く、藩主休泊の時に混雑するという理由でこの地に建て替えが行われました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、屋根には肥後熊本藩の細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。 通常、御茶屋と御客屋は別々に存在していますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。
幕末の大政奉還後、国の所有となった御茶屋のほとんどは、小学校や役場などの公的施設として利用されていきますが、その反面、用途に応じた増改築等で御茶屋本来の姿を消していくことになります。 南関御茶屋の場合は、明治25年(1892年)に個人の所有となり、「御茶屋跡」として大事にあつかわれ、建物は民家や料亭として利用されました。 昭和3年(1928年)には南関町にゆかりのある北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で開催されています。 平成15年(2003年)に国の史跡として指定され、同年より保存修理工事に着工し、平成16年(2004年)度末、修理金およそ1億1400万円を投じて往...
Read more1852年に建造(嘉永5年・いわゆる幕末の時代で江戸幕府将軍は徳川家慶) 藩主の参勤交代や巡視時、休憩や宿泊に利用されていた場所です。 平成15年に国の史跡に指定され大規模な保存工事が行われました。工事前の建物の写真も展示されています。 私は数年前、こちらで「🌹バラ展」があった時に見学し2度目です。 地元ではありませんが座敷から眺める南関富士(大津山)の光景が好きです♪ 大河ドラマで有名になった篤姫も江戸に向かう際に立ち寄られたという事で暫し歴史浪漫の世界・・・。 数カ所に分かり安い立派な案内板がありますが文字が薄く読み...
Read more御茶屋と背後にある南関城跡と西南の役官軍墓地合わせて予想以上。 御茶屋は入館料200円。丁寧な案内映像を観ているとお抹茶と御菓子を出して頂き感動。 映像後は超丁寧に館内を案内していただき、いろんなお話も聞けた上、古の貴人が愛でたであろう景色もまんま観ることができ、大満足。 案内してくださる方から伝わってくるお気持ちが「来てよかった」と思える訪問...
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