手入れもできてて、景色も良かったです。 高知市から海へ!
禅師峰寺の歴史・由来
本堂 太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸に近い。小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれ、親しまれている。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいる。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り航海の無事を祈った。 縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。
以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂」の観音さんは今も一般の漁民たちの篤い信仰を集めている。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っているが、境内は樹木におおわれ、奇怪な岩石が多く、幽寂な雰囲気を漂わせている。 芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の...
Read more「禅師峰寺の潮の千満岩の水」(不老長寿・万病に) 四国八十八ヶ所第三十二番札所で、俗に「みねんじ」とよんでいる。大同年間に空海が開いたといわれ、本尊は空海自作と言われる十一面観音である。鎌倉時代を代表する 定明作の金剛力士像二体が国の重要文化財に指定されている。本堂観音堂に向かって右側に、弘法大師の加持力によって水が湧き出したと伝えられる岩の窪みがある。この水を用いると、たちまち諸病を除くと言い伝えられてきた。また、不思議なことにこの 水は潮の干満によってその水量が増減するそうである。先だって人を案内して訪れたときは雨は2カ月程降らない干ばつのさなかであったが、水はたまっていた。ただ、落ち葉がたまって何としても口にできるような水ではなかった。 ※①:藤本眞事氏(2022年3月まで南国市談会会長)南国市のごりやくさん『南国史談第20号』・続南国市のごりやくさん『南国史談第21号』に発表。元本は「土佐民話の会」主宰市原麟一郎さんの「土佐のごりやくさん」「続土佐のごりやくさん」の2冊から本人の了解の得て引用またその他その本に記述されていないいくつかのごりやくさんも記述。藤本氏の弁「医学の進歩した今日でも、あちこちに○○に効く○○さん、という民間信仰が根強く残っているのも、あながち無視することはできないであろう。(抜粋)」と記述。 ※②ごりやくさんは民間信仰であり科学的でないのに、マップに載せるのはどうかと言われれば当然であ...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗豊山派のお寺で八葉山求聞持院禅師峰寺といい、霊場第三十二番札所になります。 御本尊は十一面観世音菩薩で弘法大師の作と伝えられる。 聖武天皇の勅命をうけて行基菩薩が土佐沖を航海する船の安全を願って堂宇を建てたのが起源とされる。 その後大同元年(806年)この地に巡錫した弘法大師は境内に奇岩霊石が立ち並ぶ姿を見て霊域であると感得しここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された、このとき自ら十一面観世音菩薩を彫造して御本尊とされ「禅師峰寺」と名付け峰山の山容が八葉の蓮台に似ていることから「八葉山」と号した。 海上の安全を祈願して建立されたお寺ですから、藩政時代には船乗りや漁師から篤い信仰を受け「船魂の観音」とよばれてきました、参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは禅師峰寺に寄り航海の無事を祈ったそうです。 太平洋に臨む小高い山の頂上(標高八十メートルの峰山)に建つお寺で、地元では峰寺(みねじ)「みねんじとも」と呼ばれています、境内からは土佐湾が一望でき、長宗我部氏最後の居城であった浦戸城址にあたります。 寺には、鎌倉時代に定明(鎌倉時代の僧・仏師)が刻んだ金剛力士像二体が伝わっていますが、国の重要文化財に指定され現在は仁王門ではなく収...
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