鎮座地 奈良市都祁小山戸640 式内大社 月次・新嘗祭において官幣に預かる。 祭神 大山祇神 天平二年(730年) 正倉院文書・大和国大税帳にその名が記される 大同元年(806年) 新抄勅格符、同年条に神戸1戸を賜わる旨の記載 仁壽二年(852年) 官社に列せられる 貞観元年正月(859年) 正五位下に叙される 延喜式において大社に列せられ、月次・新嘗祭において官幣に預かる。 神八井耳命(神武天皇の皇子)を始祖とする都祁国造家より崇敬される古社で、大阪市中央区に鎮座する坐摩神社(式内大社。月次相甞新甞において官幣に預かる)の巫女は都祁国造家の童女を充てる習わしが有ったことが、延喜式・巻三 臨時祭において 「凡座摩巫。取都下国造氏童女七歳已上者充之。若及嫁時。申弁官充替。」と記されている事から伺え、その関係が興味深い。 もともとは当社の裏山の 御社尾の神石と呼ばれる巨石を御神体として、 都祁水分神社とともに鎮座していたと伝わり、寛平3年(891年)に現鎮座地へ遷座、天禄2年(971年)に水分社が分祀された。 都祁水分神社の斉衡年間(854年~857年)に撰述されたとする社伝によると、水分社は伊勢国度会郡の人・村麻呂が奈良の都へ上る途次、携えていた御裳川( 伊勢神宮の内宮神域内を流れる五十鈴川)で汲み上げた霊水が白竜となって 御社尾の神石と呼ばれる巨石...
Read more多くの神社を見てきたが、かなり好みの神社。
まず砂利を敷いた参道は並木と社叢に囲まれており、社殿に向かう参拝者を静かに迎え入れている。
さらに神社を囲む門兼囲いのような割拝殿(桟瓦葺・平入切妻造)があり、新しいため神錆びている雰囲気はないものの、外からは左右対称に見えて整っている。
しかし割拝殿の中に入ると、左には鯉のいる池(当然池の中には市杵島姫を祀る厳島神社)と山の斜面があり、右には神楽舞を舞えるような舞台がある。 舞台は割拝殿とL字に曲がって繋がっている。 つまりこの割拝殿は左右対称の凹字型ではなく、池側が囲われていないL字型で、池の裏の山を拝殿の囲いの一部としているのだ。
そして正面の拝殿は瓦葺・妻入入母屋造で、京都に多い舞殿風拝殿のようである。 拝殿後方に銅板葺・一間社春日造の朱塗りの本殿があるが、本命は自然信仰の磐座、御社尾である。 池のそばの階段を上がり20分ほど山を登ると、御神体の磐座があり、白龍が降臨したと伝わる。
総じて、静かで並木のある参道、門のような割拝殿、池、舞台、拝殿、本殿、磐座と、神社に必要なものが全て揃っており、それが均等が取れていて、今でも地元の人に整備されているという驚異的なバランスの神社。
大きい神社ではなくて、知る人ぞ知る感があり、静かに参拝できることも大きなポイント。
まだ日本にはこ...
Read more冬の帰り道。もう夕方でしたが参拝させて頂きました。境内はとてもきれいに掃き清められていて、まるで先ほど掃除したばかりのように見えました。細かい砂利の上を歩いていきますが足跡が見えません。歩いてはいけないど真ん中を遠慮もなく歩いていることに気づかされました。本殿が見えたときはとても感動しました。豪華ではありませんが均整のとれた社殿でとてもすっきりしています。神社特有の重い雰囲気がありません。それでいて神聖な気品があります。小さな狛犬は風化していて表情もあまり読み取れませんが、返って全体的に可愛らしいお姿に見えたのが不思議でした。作ったときにこうなることが分かっていたかのようです。帰りに神社の出口の鳥居の前で小さなお子さんを連れた男性に出会いました。親子で手を合わされていて、その横を通過するときはちょっと恥ずかしくなり目を合わせられませんでした。地元の方の信心の長...
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