太平寺(那須烏山市) 住所:栃木県那須烏山市滝395 坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。 その後、嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したという古刹。 境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある アクセス :JR烏山線滝駅下車…徒歩3分 (駐車場あり)
寺の始まり:延暦22年(803)坂上田村麻呂が蝦夷討伐のおり、大願成就を祈願し千手観音菩薩を安置し、堂宇を建立したのが始まりとされたという。 開 創:嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁が再興し寺院として整備、これが太平寺の開基となています。 本 尊:千手観世音菩薩(室町,像高230cm,木造) 下野三十三観音霊場第11番札所。 御朱印は、宇都宮の宝蔵寺でいただけます。 宇都宮市大通り四丁目にある天台宗の寺院(徒歩 :JR宇都宮駅西口から徒歩5分)。
現在の太平寺本堂と仁王門は、享保10年(1725)に建てられた古建築物で、江戸時代中期の寺院建築の遺構として那須烏山市指定有形文化財に指定されています。 ・ 本堂は、木造平屋建て、入母屋、銅瓦葺き、平入、桁行6間、正面3間向拝付、 外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、内陣には須弥壇が設置され、その上に置かれた厨子には本尊である木造千手観音菩薩立像が安置されています。 ・ 仁王門は、三間一戸の八脚楼門で、桁行3間、張間1間、入母屋、銅瓦葺き、 外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、 下層部左右には仁王像安置、上層目には高欄が廻され開口部は眼象窓、「観普」の扁額が掲げられています。
中世は領主だった那須氏が庇護し寺領の寄進や堂宇の造営など行われ、 天正13年(1585)には那須家家臣の大関氏が千本氏を忙殺した舞台にもなっています。 天正18年(1590)、那須氏は小田原に参陣しなかった事から奥州仕置きにより改易となり、庇護者を失い太平寺は一時衰退します。 江戸時代に入ると歴代烏山藩主の庇護となり寺運を隆盛し、 特に 享保10年(1725)に大久保氏が藩主となると代々の菩提寺となり、観音堂の大改修や寺領5石が安堵するなど庇護し、本堂には累代位牌が安置されました。 又、太平寺境内には川口松太郎の小説「蛇姫様」で知られる"お六姫"の墓があります。 (お六姫とは烏山藩主堀親良と側室の子供で家老である堀新左衛門の長男に嫁ぎましたが、不義密通の嫌疑がかけられ、無実の遺書を書いた後に自害したと伝えられています)
太平寺の文化財 ・木造 千手観音菩薩立像...
Read more那須氏関連史跡 2022年5月7日来訪。
説明板に書かれている寺伝によると、803年に坂上田村麻呂が蝦夷討伐の大願成就を祈願し、この地に堂宇を建立したのが始まりで、848年に慈覚大師により再興され、中世以後は那須氏により崇敬され庇護を受けていた。ここにある立派な仁王門は、烏山城三の丸を築いた堀親昌が、父親の菩提を弔うために東江寺を建築する際に造ったものを、信濃飯田に転封となった際に、太平寺に寄進、移築したものだそうです。この仁王門は、太平寺の隣にある龍門の中段にある男釜から大蛇が現れ七回半巻き付いたという伝承があるとの事。
また、このお寺は、那須七騎の千本資俊、資政父子が、1585年、大関高増らに暗殺された場所です。 千本資政に娘を離縁された事を恨んだ大関高増は、主君那須資晴に千本氏を討つ事を承認させ、兄弟である大田原綱清、福原資孝と謀り、千本資俊、資政父子を太平寺に誘い出して殺害。千本資俊の元養嗣子で資政が生まれた事で廃嫡された茂木義政が千本氏を称した。
烏山城に近いので、興味がある方は、ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 ...
Read more龍門の滝のすぐ近くにあり戦前の小説で戦後映画にもなった蛇姫様のお墓があり坂上田村麻呂の戦勝祈願や栃木県が誇る高僧慈覚大師が開創したとも伝わる由緒あるお寺。 石段を登ったところにある仁王門は仁王様の彫刻とともに見事な出来栄えです。
ただし・・・仁王門や彫刻もそろそろ修繕が必要なのは誰の眼にも明らかだと思います。 もちろん文化財の修理には莫大なお金がかかるでしょうし、公的機関ではないお寺に市や県が公費を投じるのも矛盾があるかとも思います。 しかし文化財指定されていますし、このまま手をこまねいていてはいずれ朽ちてしまうでしょう。
見事な仁王門や彫刻であることは疑いようのない所ですので、何とか市や県に頑張ってもらって貴重な文化財を後世...
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