20200229三沢は晴天だったので青森~岩手・残りの「〇戸城」弾丸ツアーに行って来ました。 3番目は岩手「四戸城跡」の近くに到着しました。 長寿寺専用駐車場に車を停めさせて頂いて「四戸城跡」を探すもギブアップ! 四戸城(金田一城)は、馬淵川左岸の段丘にあり空堀に仕切られた上館、中館、下館からなり、それぞれ四戸氏、切円氏、金田一氏の居城であったと伝えられ三郭を総称して金田一城といったが詳細は不明だそうです。 上館は東西100メートル×南北250メートルで最も規模が大きく、これを四戸城ともいうそうです。 城跡からは中世~近世の陶磁器類が出土しています。 天正20年(1592年)の「諸城破却書上」には「金田一 山城破 信直抱 代官 上村...
Read more四戸は地名にもなく、地元の人にもここに城跡があることはあまり知られていないと思います。今はべこ石と呼ばれる大きな石が1つあるだけです。 この石の脇に立つ案内板の文字はもう消えてしまっていますが、こう書かれています。
四戸城跡 四戸城は上館、中館、下館の三つの曲輪(くるわ)からなっています。南部氏の一族とされる四戸氏の居城でしたが、四戸氏がいつ頃から当地に居住したのかは良くわかっていません。 戦国時代末期、城主四戸宗泰の妹は、九戸城主、九戸政実の妻で、また四戸宗泰の妻は九戸政実の叔母でした。四戸氏は、二戸地方で絶大な勢力を持っていた九戸氏とは親しい間柄でありました。 しかし、天正十九年(1591)の九戸の戦いを前に、四戸宗元(宗泰の嫡子で当時城主)は弟金次郎の流言のため秋田へ逃れ、病死しました。そのため四戸城は九戸方に対する南部信直方の居城となり、九戸の戦い...
Read more分かりづらい場所にあるので道案内の看板を増やせばいいのにと思いました。ベゴ石と呼ばれる大きな石が城跡にありました。遺構は特に残っていないので特に見どころはないのが残念。八坂神社の裏手にあり、城跡に長寿寺のお墓が建っています。もともとは四戸城と呼ばれ、南部氏の一族である四戸氏の居城だった。九戸政実の乱の後に南部二十六代信直公の家臣だった武田彦三郎は二戸郡金田一村を賜って、金田一氏を名乗るとともに城名も...
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