鎧が淵古戦場は愛知県西尾市吉良町に位置しています!この地では、永禄4年(1561年)に松平元康(後の徳川家康)と吉良義昭の間で激しい戦いが繰り広げられました!
そして、戦いの発端は三河統一を目指す元康が、吉良氏の居城・東条城を攻めたことにあります!しかし、義昭は巧みに防衛し、城は落ちませんでした!
その後、義昭は一計を案じ、富永忠元に数百騎を授けて酒井忠尚の守る上野城を攻めさせました!この動きに対し、元康は松平好景に出動を命じ、彼は深溝城へ戻りました!
けれども、その隙を突いて義昭は中島城を攻めました!好景は急ぎ50余騎を率いて応戦し、吉良軍を蹴散らしました!
しかし、富永忠元の策にはまり、好景らは退路を断たれてしまいました!そして、善明堤付近で伏兵に囲まれ、好景を含む将兵は淵に追い落とされて全滅しました!
そのため、後にこの地から鎧や武具が引き上げられたことから「鎧が淵」と呼ばれるようになりました!つまり、鎧が淵古戦場は悲...
Read more真田戦記 黄金堤と鎧ヶ淵古戦場 愛知県西尾市吉良町岡山鎧 黄金堤 地元では名君として知られる吉良上野介義央が、1686年に洪水被害にあえぐ領民のために、私財を投げ打って築いた堤が黄金堤と言われています。高さ4mの堤を長さ180mに渡って築いた結果、稲穂が黄金色に実るようになったそうです。 鎧ヶ淵古戦場・善明堤の戦い 黄金堤と隣接というか同一箇所にあるのが鎧ヶ淵古戦場です。 善明堤の戦いは1561年に今川氏から独立した松平元康(家康)と 吉良義昭との間で起った戦いです。家康の三河統一事業の過程で起きた合戦です。家康方と吉良義昭方の家臣同士が戦い、家康方が大敗したという古戦場です。将兵の鎧が水底から引き上げられたため鎧ヶ淵...
Read more⭐️吉良家史跡巡り😅⭐️ 須美川沿いに出来た約180mくらいの堤防、堤防全体に植樹された桜の木が沢山あります、立派な堤防👀 ・「おうごん堤」って思ってました、「こがね堤」なんですね⁉️別名/小金堤・一夜堤。
・三河吉良家の石高/約3800石、嫡男を断絶寸前の米沢上杉家に養子藩主とし、上杉家は吉良上野介の放蕩浪費借財や屋敷の修繕費の数万両肩代わり、そんな困窮した家政で堤防普請は難しいかと😥 なので、新田・塩田開発の伝承は⁉️ ・殆ど江戸在府で忙しい吉良上野介が、馬に乗って築堤とは、吉良庄訪問も1度だけ、何の史料もなく記録もないのに、なぜ吉良上野介が善政を...
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