I absolutely love this place. It’s quiet and remote and the parking area is tiny so I’ve never seen it crowded.
There are TONS of sakura trees and it s gorgeous in the spring. They were doing some construction...
Read more天守閣跡の東条城跡の碑の周辺一帯に足長蜂が何十匹もブンブン飛びまくっていました。 ハチに何度も刺されて大変な思いをしていたことがあるのでマジで恐ろしかった。雰囲気はのどかで一部展望も良く素敵な場所なのだが、写真をさっさと撮って退散しました。 もし、近日、行かれる方は気を付けてくださいね。
西尾観光協会より引用 吉良荘の東半分を治めた東条吉良氏の居城跡 鎌倉時代前期の承久3年(1221)に起こった承久の乱の後、足利義氏が三河国の守護になり、吉良荘の地頭職を兼務しました。 足利義氏は吉良荘を貫く当時の矢作川を境に、西側を吉良荘西条として現在の西尾城の位置に西条城を、東側の吉良荘東条に東条城を構え、長男長氏(ながうじ・おさうじ)を西条、三男(あるいは四男)義継(よしつぐ)を東条に置き、吉良荘を分けて治めました。...
Read more東条城は現在の愛知県西尾市吉良町に築かれました!その築城者は足利義氏とされ、承久3年(1221年)に築かれたという説があります!まず、義氏の三男・吉良義継が入城し、これが前期東条吉良氏の始まりとなりました!そして、南北朝時代には西条吉良氏との間で城の支配を巡る争いが起こります!また、応仁の乱では東条吉良氏が山名宗全に与し、西条吉良氏と激しく対立しました!さらに、戦国時代には織田氏・松平氏・今川氏などの勢力が台頭し、吉良氏は次第に衰退していきます!加えて、永禄4年(1561年)と永禄6年(1563年)には、徳川家康による攻撃を受け、城主・吉良義昭は退城しました!そのうえ、以後は東条松平氏の居城となり、松平家忠が城主となります!そして、天正9年(1581年)に家忠が跡継ぎなく病没し、家康の四男・松平忠吉が養子となりました!しかし忠吉は東条城には入城せず、翌年には沼津城主となったため、...
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