もっと高く評価され、感謝を捧げて然るべき人物だと思います。その時その場所にこの男が居なかったら「日本の歴史が変わっていた」とかいう他人事のレベルではなく、そもそも我々は存在せず、こうやって人生を享受する事すらかなわなかった可能性が高いからです。 内閣総理大臣として日本を終戦に導いた人物として有名ですね。彼が就任時には戦局は傾いており、国土はB29の猛爆に晒され、一方海上は流通ネットワークが寸断されて燃料や食料の輸入もままならず、備蓄は尽き年内には餓死者が出始めると予想されている状態でした。 更に連合軍が上陸して徹底抗戦になった場合、最低でも200~300万人の死者が出ると想定されており、また連合軍側も沖縄戦での戦訓から、自軍の損害を減らすためなら毒ガスでも核兵器でも使える兵器は制限無く使用する構えだったのです。
感情にまかせてケンカを始めるのは簡単です。しかしケンカを終わらせるのは遥かにデリケートで難しい問題なのは分かるでしょう。素直に負けを認めて謝れば良いのですが、残念ながら人間はそんなに単純には出来ていません。 増してや「聖戦」の名の下に数多くの犠牲者を出してしまった後ではなおさらです「我々が間違ってました、ゴメンナサイ」で済むはずも無く、特に陸軍は最期までの戦争の継続を望んでいました。
自分が始めた戦争でもなく、軍部の恨みを買って挙げ句に敗戦の責任までとらされるのは誰が見てもアホらしく、政治家としては口だけ威勢のいい事を言って、なし崩し的に本土決戦をした方が気が楽だったかもしれません。 しかし彼はそうはしませんでした。自分が一身に責任を負う決断をして、既に決着のついたケンカの収拾に入ります。 この状況で軍部の強硬派を抑え込み、国民に納得してもらうには統帥権者たる天皇陛下自身に終戦の「聖断」を下してもらうしかありません。陛下が戦犯として裁かれ処分される可能性があることも含めて、何事でも奏上し協力をお願い出来る強力な信頼関係があった貫太郎だからこそ可能なことでした。 また問題の阿南陸軍大臣も部下の手前、強硬な主張をしたものの、かつては宮内省の侍従として貫太郎と同僚だったので、その人柄の高潔さは知っており、暗に陸軍内の強硬派を抑え暴発を防いでくれました。
ようするに鈴木貫太郎の人柄・人望・人脈・戦略眼がなければ、この時期での終戦は有り得なかった訳です。民族の興亡がかかる日本始まって以来の非常事態に、この人物を持つことができた我々は幸運だったとしか言い様がありません。貫太郎氏はすぐ近くの実相寺に眠っていますが、お墓には足を向け...
Read more二・二六事件の首謀者の一人、安藤輝三の遺品が、事件85年目にあたる2021年に当館にて展示されると、記念館の案内の男性が仰っていた。ある意味所縁があるからだという。 ロビーで閲覧できるVTRでは、事件当時の緊迫した様子が、夫人の証言から窺い知ることができる。思うのは、たか夫人が仕舞ったという幾振りの日本刀が、結果的に鈴木貫太郎氏を救ったのだろうか、という事である。丸腰で陸軍青年将校の一団と対峙した貫太郎氏であったが、もし所定の位置に置かれた刀を手にして、抜刀し振り翳していたならば、更に数発多くの弾丸を浴びていた事であろう。深手を負うも、死を免れた事は、偶然とはいえ、夫婦共かなりの幸運だったというべきか。これは、かなり特殊な形ではあるが、ある意味内助の功とも言えるのではないだろうか。 駐車場の片隅にはひっそりと佇む案内板と石碑がある。貫太郎翁の戦後は、酪農業に関係したといい、敷地内に集乳所(酪農家が生産した生乳を集める施設)を設置したのだという。石碑の題字には、貫太郎翁の日常訓「以和為貴」(和を以て貴しと為す)とある。大変素晴らしい言葉で、この言葉を世界中の人々に知っていただければ、世界平和に少しでも前進するものと思われてならない。むろん、この言葉の出典は、厩戸皇子十...
Read more千葉県野田市関宿の鈴木孝子について調べに行った。2024年5月現在、記念館の復興中で見られる資料が少ない。 酪農家、そして226事件の証言者として、NHKのインタビュー録画を見ることができる。札幌に生まれる。
父親である足立元太郎は、明治を造ったパイオニアであり、プロテスタントとなり、開拓者精神を札幌農学校で身につけた。内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾ら同窓6名とともに東京英語学校から札幌農学校二期生として官費入学。一期生、大島正健は「彼はエドウィン(クリスチャンネーム)という名を選んだが、生粋の江戸っ子で、(略)その長女孝子さんは侍従長として今上陛下の御信任厚かった鈴木貫太郎夫人で、陛下御幼少の、御教育係りとしても有名である。」 元太郎の記録は、内村鑑三の著作や、蝦名賢三著「札幌農学校 復刻刊行会」に見られる。
鈴木たかの育った札幌時代と、東京女子師範学校時代の教育から検証することができるだろうか。 女性の側にたつ記録は少なく...
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