霊応山神宮寺といい天台宗のお寺になります。 御本尊は薬師如来です。 元正天皇(女帝)の勅願により奈良時代の和銅七年(741年)に若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として、泰澄大師の弟子である沙門滑元により開創されたと伝わります鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めました。 神宮寺は室町時代の天文二十二年(1553年)に越前国の守護職であった朝倉義景公の寄進により再建されました、当時から本堂は現存していて仁王門(山門)とともに国の重要文化財に指定されています、神宮寺の最盛期には七堂伽藍と二十五坊の子院を有していましたが豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭いさらに明治初頭の廃仏毀釈によって寺は衰退してしまいました。 神仏習合のお寺で現在も神事を執り行っていて本堂には注連縄(しめなわ)が飾られています、奈良東大寺二月堂で執り行われる儀式「お水取り」に欠かせないお水「お香水」はこの神宮寺で執り行われ、採水されたお水は「お水送り」と呼ばれ奈良に送られます。 本堂の須弥壇中心に大きな薬師如来坐像が鎮坐しそれを取り囲む様に十二神将像が安置されています、左手には僧行基が元正天皇をモデルとして刻まれた千手観世音菩薩が安置されています、長年秘仏であったため鮮やかな色彩が残されていていますその脇侍に不動明王像と毘沙門天像が祀られています,さらに右手には神宮寺に祀れている神様の名前が書かれた掛軸が三副掛けられています。 神宮寺所蔵の秘仏「木像男神像」は衣冠束帯の像高四十九センチメートルの像であり、「木像女神像」は小袿姿の像高五十一センチメートルの像です、室町時代初期の作で若狭一の宮の神宮寺奥之院に伝わる神像とされていて国の重要文化財に指定されています。 本堂は間口約十五メートル・奥行約十七メートル和様を主体に木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法も用いられている折衷様の建物で建坪百十坪です、神宮寺は小浜の他のお寺とは異なり内陣に入ることも撮影も禁止です外陣から静かに参拝(拝観)します、神様と仏様が同居する場所であり参拝するときには柏手(かしわで)を打ちます。 仁王門(北門)は鎌倉時代末期再建の単層屋根の切妻造、和様柿葺八脚門の建物で両端に至徳二年(1385年)造立の木像金剛力士...
Read moreA beautiful temple in the foothills of Obama. The temple was originally a shrine. The main hall has been designated an important cultural property. There is a spring in the grounds that is said to have supplied...
Read more250714 漫画 陰陽師(岡野玲子) 「安倍晴明天の川に行きて雨を祈る」 を追って若狭にやってきました。
安倍晴明は 瓜割の滝で 雨乞いのための瓜を授かり そのうちの1つを鵜の瀬に流し 雨乞いの儀式を始めるという話です。
鵜の瀬といえば 3月12日に行われる 奈良東大寺二月堂「お水取り」 それに先がけて 3月2日に行われる 小浜市神宮寺の「お水送り」 奈良と若狭が水脈でつながっていると 言い伝えられ1300年続く 歴史的な行事と深く関係します。
若狭神宮寺の 「閼伽井」で汲んだ「お香水」を 約2km離れた「鵜の瀬」に運び 鵜の瀬の遠敷川に流し入れるお水送り
するとお香水は 東大寺二月堂の井戸「若狭井」に届き 「お水取り」が行われる。
なんて壮大な儀式と思い
水豊かな若狭から 仏が集う奈良へ さらには熊野まで つながっているという
昔の人のほうが いろんなことを 知っていたのではないかな?
神宮寺は神仏習合の寺院として 神と仏が共にある場所です。
それもまた素敵
神宮寺の本堂に注連縄 本堂の中にゾウとバクの屋根飾り そして 閼伽井
時空を超えて 豊潤な歴史の...
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