2024.7 【入館料】無料 本館は電気事業で財を成した松永安左エ門の紹介が中心。 別館は収蔵品の絵画が展示されていました。 階段を登った上に数寄屋建築の老欅荘と無住庵があります。 【概要】 実業家で茶人としても知られる松永安左エ門が、1959年(昭和34年)2月25日に、自ら蒐集した古美術コレクションを、広く公開する目的で財団法人松永記念館を創立。公開のために建てられた施設が、現在の松永記念館の原点である。 松永没後も遺志を引き継いだ財団によって施設等は維持されたが、1979年(昭和54年)、運営難によって財団は解散。コレクションの大半は福岡市美術館に引き取られ、土地・建物は小田原市に寄付された。 土地・建物の寄付を受けた小田原市は翌1980年(昭和55年)10月1日に、小田原市城内にある小田原市郷土文化館の分館として松永記念館を開設。郷土文化館が所蔵する美術品等を展示する施設として利用されることになった。 また、晩年を板橋に暮らした作家・中河与一のコレクションや、近代小田原三茶人と呼ばれる益田孝(鈍翁)、野崎廣太(幻庵)、松永安左エ門(耳庵)の遺品を蒐集・展示している。...
Read more4/25/2025 かつて「電力王」と呼ばれた松永安左エ門という名の男がいたが、その最後の住居が小田原にあったとは知らなかった。 まず入口で驚いたのが、奈良の不退寺から持ってきた「礎石」が「松永コレクション」と称して展示され、さらに園内を歩くと「東大寺」とか、何とかかんとか様々に石、巨石の水鉢、石橋の類を奈良から運び込んでいるのが非常に気に障った。 全く何のつもりでこんな金にあかして、まるで盗品のようなものを集め、しかも小田原市はそれを「コレクション」と称して展示しているのか。 若いころの松永の写真を見ると、「わが人生は闘争なり」と福沢諭吉の前で宣言した、まさにそのままのエゴ丸出しの不快な顔つきをしている。戦後はGHQと電力9社体制を作ったことが業績というが、これは歴史に耐える事績ではない。民営化の末の採算優先の招いた大原発事故…。 茶人というが、収集品をみる限りこの人の感性は何だかわけが分からない。展示されている新田義貞の鎌倉攻めの屏風は何なんだ。 小田原市は一生懸命施設を維持管理しているようだが、一刻も早...
Read more箱根登山鉄道箱根板橋駅前の東海道国道1号線板橋駅前横断歩道を渡り、斜めに入る路地から変則五差路を右手旧東海道へと進んで左折、旧東海道を箱根方面進むと左へ折れて行く手前を右折し正面に香林寺のある十字路の左手にあるのが松永記念館である。本館、別館、無住庵、老欅荘、葉雨庵、収蔵庫に分かれており、本館2階と茶室葉雨庵は使用料が必要であるがその他の展示は無料で見学出来る。本館1階は松永記念館の名前の通り電気の鬼と謳われた故松永安左エ門氏関連の展示、別館は松永氏が収集した美術品の展示がある。別館はバリアフリーとなっており、本館も別館から渡り廊下を通る事で車椅子の方でも見学出来る様になっている。無住庵は入口迄は入る事が可能で旧松永邸である老欅荘は立入禁止の場所を除いて自由に見学出来る。館内のスタッフの方も親切で案内もしてくれるのでガイドを頼むのも良い。古民家や歴史等が好きな方には...
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