光丸山 法輪寺 (市の代表的古刹) 場所は、那珂川と箒川が合流する小田原市佐良土。 国指定史跡の那須管衙遺跡から東山道は、箒川を渡り、北へ向かった。歌人西行は、この道をたどって2度、白河の関を越えている。その地に全国でも珍しい神仏混淆の寺、法輪寺があり、西行にちなんだ市指定天然記念物のシダレザクラ「西行桜」があります。毎年4月上旬から中旬頃、淡いピンク色の花を咲かせます(現在の木は2代目)。
開山は、貞観2年(860年)慈覚大師円仁の開山です。 光丸山は、初院・中の院・奥の院の三院から成る。 一般には法輪寺も含めて光丸山と称される。
毎年十一月三日(本祭り)・四日(後祭り)の二日間大祭を執行する。特に三日の大縁日に、寺院としては全国でも珍しい御輿の渡御えを行う。
正面に光丸山の大日如来を安置する本院大日堂があり、その左側の御堂に日本一大きい天狗の面が安置されている。また、大日堂の右側に大黒天堂があります。 右奥側には後嵯峨天皇(鎌倉時代の第88代天皇)の勅額門(市指定有形文化財)がある。この門手前右側に薬師堂があり、この門を入ると、釈迦三尊を安置する法輪寺の本堂釈迦堂があり、その左側内陣に光丸山の神輿が奉安されている。 また、その左側には、観音堂、無量堂があります。 これを中の院という。
・光丸山本院…大日如来を安置する。 ・御堂・・・日本一大きい天狗の面を安置する。(火災・盗難・厄除け) ・大黒天堂…光丸山大黒天(八溝七福神)を安置する。 ・本堂釈迦堂・・・釈迦三尊を安置する。 ・左側内陣に・・・神輿が奉安する。 ・薬師堂…薬師如来と十二神将を安置する。 ・観音堂…玉寺観音を安置する。 ・無量堂…阿弥陀如来を安置する。
奥の院へは、 光丸山前を流れる御行川(岩川)をまたぎ建つ一の鳥居、はるか奥の院に向かって温泉神社の裏手に建つ二の鳥居、そして少し離れて建つ奥の院入り口の三の鳥居へと進む。 一昔前まで信徒は祭礼のとき寒中に水垢離をとり、六根清浄...
Read more栃木県大田原市佐良土に境内を構える、光丸山又は正覚山 法輪寺、2024.2に参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は光丸山又は正覚山、院号は実相院、寺号は法輪寺、宗派は天台宗、光丸山法輪寺は、正確には「光丸山」と「法輪寺」の二寺の総称である。法輪寺は、貞観2年(860)に慈覚大師円仁がこの地を巡った時、 夢に釈迦・大日の二仏の尊像を見て、 寺を創建したことに始まると伝えられている。本尊は釈迦三尊。寛元3年(1245)に後嵯峨天皇より山・院・寺号の三額を賜った。 現在、勅額門にあるのは、霊雲法親王の御染筆である。 光丸山は初院・中の院・奥の院の三院からなり、本尊は大日如来。 一般には、法輪寺も含めて光丸山と称され、 地域では「こうまるさん」として親しまれている。境内には他に観音堂や無量堂、薬師堂、大黒天堂などの建物や、 樹齢800年と言われる西行桜などがある。 西行桜は、西行法師がこの地を訪れた時、この桜に杖をよせて 「盛りには などか若葉は 今とても 心ひかるる 糸桜かな」 と、詠じたと伝えられている。また天狗堂には寄木造りとしては日本最大の大天狗面 (高さ2.14メートル、幅1.5メートル、鼻の高さ1.3...
Read more「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」とある。 このように当寺では、大きく「光丸山」と「正覚山」の部分に分けることができる。 「正覚山」は狭義の「法輪寺」であり、本尊は釈迦三尊。 「光丸山」は大日堂を中心とする伽藍であり、本尊は大日如来である。
なお、寺院全体の総称は「光丸山」である。公式サイトでも「正覚山法輪寺」ではなく「光丸山法輪寺」と称している。
歴史 860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山された。開山年代や創設者については他にも諸説ある。 円仁は諸国巡錫の旅に出ていて当地に至り、霊夢によって釈迦如来・大日如来両像を感得して寺を創建した。
1636年(寛永13年)、弁海によって中興された。 11月3日の本祭では、寺院としては珍しく神輿の渡御が行われるなど、神仏習合の名残を伝えている。
文化財 紙本著色釈迦涅槃図(栃木県指定有形文化財 昭和48年1月30日指定) 紺紙金泥大般若波羅密多経(栃木県指定有形文化財 昭和48年1月30日指定) 板絵墨画虎図(栃木県指定有形文化財 昭和48年1月30日指定) 板絵著色四霊の図(栃木県指定有形文化財 昭和48年1月30日指定) 勅額門(大田原市指定有形文化財 昭和41年2月15日指定) 大天狗面(大田原市指定有形文化財 昭和41年2月15日指定) 西行桜(大田原市指定天然記念物...
Read more