『 髙倉神社御由緒
御祭神 天照皇大神 大倉主命 菟夫羅媛(ツブラヒメ)
當社は國史所載の古社にして、第十四代仲哀天皇八年正月己卯(ツチノトウ)朔壬午(ミヅノエウマノヒ)、筑紫に行幸し給ひし時、縣主の祖熊鰐(クマワニ)周防婆歴浦(サバノウラ)に参迎え、海路を導き山鹿岬より巡りて岡の浦に入らむとし給ふ、時に神異あり天皇勅して、挾抄者(カジトリ)倭國菟田(ウダ)の人伊賀彦命を祝部(ノリベ)としめ給ふ、神功皇后摂政二年五月午の日に、此の地に神祠(シンシ)を建て神田千町を以って定めらる。即ち大倉主命、菟夫羅媛二神の本宮なり。 古来武人の崇敬厚く年中三度の大祭には、在廳(ザイチョウ)の官人をして祭儀を監察せしめられ、武家執政の後も検使を遣わして祭儀を援けせしめられき、天文五年九州探題大内義隆公 社殿の造営ありしも、永禄二年大友宗麟の兵火にかかり、壯麗なりし社殿も貴重なる社宝と共に烏有(ウユウ)に歸(キ/帰)せしが、天正十五年國主 小早川隆景公 之を再建、慶長十八年 黒田長政公...
Read more何も下調べせずに先日初めて参拝してみたら、思いの外、大きな規模で驚きました。 森の中の神社という感じで、点在する巨木たちの存在感と放つ気が素晴らしいです。 行ったことのない方は一度行かれてみることをオススメします。
ただ、こちらの神社、地元に根ざした神社のようですが、普段の駐車場は敷地の大きさの割に数台しか停められません。 あと、かなり広いため清掃や樹木の管理が行き届かないようで、駐車場側の鳥居のそばにある厳島神社や稲荷神社の周囲が枯枝で荒れ、手前の小川?も水が涸れていて、気持ち的に鳥居をくぐることができず残念でした。 ボランティアなどで、みんなで草刈りなどできないかなと思いました。 お社近くに小川の源泉?の池もありましたが、水草や周囲の葉が全体を覆って澱んでいて神聖な雰囲気に似つかわしくない感じがしました。 あと外側の横に流れる川沿いに張り出した1本の巨木の周りも荒れていて、かわいそう。 全体的にきれいに保たれてたら、素晴らしい見所が満載の神社なのにと残念です。 (荒れた場所は、今回撮影を遠慮しました)
良かったのは、中央のアオバズクのかわいい石造りの像があるご神木に、参拝当日アオバズクが枝にとまっているのを見ることができたことです❤️ 自然の中にいる野生のフクロウを見たのは初めてで感激しました。 ただ高い位置にとまっていたので、スマホでは撮影できませんでした。 また個人的には、お社横の杉の巨木に圧倒されました。 いろんな巨木を見て来ましたが、何か特別な気を放ってる感じです。
全体的に、神社の厳かな気を放つ雰囲気づくりがなされれば、素晴らしい神社なので巨木やフクロウなどの話題で、さらに遠来から参拝客も増えるのではと思います。
また参拝したいかと言われれば、巨木を見たい気持ちはあるものの、荒れたエリアがあるので、正直、半々かな。 管理されるのは大変だけど、遠方からでも行く価値はある神社だと思う...
Read more何も知らず訪問、【芦屋の里】 似て、《鋳物毘沙門天》の大きな写真が眼に入る。 (ナビ検索高倉神社) 【遠賀郡岡垣町】高倉神社 に訪問した時、参拝者が多く、祭祀が行なわれていた。
✮高倉神社の由緒略記を見ると、 日本書紀所載の古社寺にして人皇第十四代仲哀天皇御勅祭の大社なり。 大倉主命 菟夫蘿媛命 の二柱を奉祀し、中世に至り天照皇大神を相殿に合祀す。
✮往古は、社殿宏壮に廻廊をめぐらし、楼門を構へ二十余社に 摂末社、境内に鎮座ありしが、 今は、境内に摂末社九社 境外末社二社あり、社領の神田も正長年間(5519前)将軍足利利義教の時代は、神田二十四町六段、垣崎の庄にて二百十四町步あり。
尚神林の地域も広大なりしが、 豊臣秀吉及び小早川秀秋の時代に没収せられぬ。
❞この社領の大きさに凄さを感じる高倉神社です。❞
★神興の三体 大形の神興一体と 小形の神興二体
★高津嶺、高倉神社の南方2町に 在る霊峰にして、太古に宗像 の三女神が天照大神の御神勅 によりて、天降り給ひし時に 供奉せられし、 大倉主命菟夫蘿媛命の御降臨 ありし霊地にして、山頂に有 り。
★毘沙門天像、此の銅像は今を 距ること、472年前、延徳3年3 月遠賀郡手野村の豪族、須藤 駿河守行重といへる人の、 祈願報費のために献納せられ しものにして、 身の丈七尺五寸、銅周囲四尺 鉾の長二尺一寸、柄の長さ 六尺五寸余あり、 重要文化財に指定される。
★神伝院、当院は、覚王山神宮 寺神伝院と祢し、真言宗高野 山発光院の末寺にして、往古 神仏混合の時、高倉宮に奉仕 明治4年神仏習合の廃止により
現在のの高倉神社に至る。...
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