奥宮が強烈に印象に残りました。物凄い神秘的な力を感じざるおえなかったです。 さて、この山中八幡宮の「鳩ヶ窟」ってご存知ですか? もしあの時あの場所に、、、もしかすると歴史が大きく変わってたかもしれない場所なんです。
山中八幡宮は家康公の父・広忠が再興したといわれ、家康公初陣の際に必勝祈願したとされる神社です。 1563年に起こった三河一向一揆。そう三方ヶ原の戦いや神君伊賀越えと並び立つ家康三大の危機のひとつとして語り継がれる出来事です。 実はこの敷地内に「鳩ヶ窟」(はとがくつ)と呼ばれる洞窟があり、一三河一向一揆の戦いに敗れ、徳川家康が敗れて命からがら逃げ隠れた洞窟といわれています。 追手がこの中を探そうとしたとき、洞窟から二羽の白い鳩が飛び立ったので、「人のいる所に鳩などいるわけない」といって追手は通り過ぎ、家康は難をまぬがれたといわれている洞窟なんですね。 そして、その後、この洞窟を「鳩ヶ窟」(はとがくつ)といい、八幡宮の山を「御身隠山」(おみかくしのやま)と呼ぶようになったそうです。
また、室町時代から続く五穀豊穣を祈る神事があります。 毎年正月3日に開催され「デンデンガッサリ」という御田植神事として行われており、市の無形民俗文化...
Read more☆「松平氏」所縁の八幡宮でありパワースポット⛩️ 創建自体は699年と古く宇佐八幡大神の夢のお告げで神霊を迎え祠を建立とは、八幡宮の森林全体は愛知県の自然環境保全地域に指定され保護。 家康の父/松平広忠が1545年頃に再建、1558年(永禄元年)に西三河の寺部城/鈴木氏攻めが松平元康(後の徳川家康)の初陣、神君家康の初陣の際に必勝祈願した社として武運長久⚔️
☆1563年(永禄6年)、三河一向一揆勃発、戦に敗れた松平家康が逃げて隠れた洞窟が寺域にあり、難を逃れた『鳩ヶ窟』、なので八幡宮のある小高い山を「御身隠山(おみかくしのやま)」と呼ぶ神聖な場所、しかし、実際は想像以上に小さな窟で少し驚いた😲 序でに、家康が本殿前に矢を刺したら今も残る「御開運竹」に、ホントにここだけ竹が密集。
☆1634年(寛永11年)、東海道を3代将軍徳川家光が上洛の際に立ち寄り参拝🚶 山中八幡宮の境内への入口横の大クスノキ、樹齢650年の伝承あり...
Read more岡崎の国道1号線から少し奥に入った場所に鎮座する神社です。境内の大きなクスノキと、静かな山の中に建てられた立派な社殿がとても印象的な神社です。
創建は朱鳥十四年(699年)と非常に古く、この地の山中光重という人が宇佐八幡のお告げで社を建立したのが始まりだそうです。 中世以降は徳川家(松平家)との縁が深い神社となります。徳川家康公の父、松平広忠公が神社を再建され、家康公も初陣の必勝を祈願したといわれており、神社内の石灯籠などには葵の御紋が彫られています。 また、地元の寺院から年貢米を徴収したことに端を発した三河一向一揆の際にも、家康公はこの神社内の洞窟に身を潜めたと言われていて、追手が洞窟に近づいた際、2羽の鳩が洞窟から飛び出したんだとか。鳩がいる洞窟に人がいるはずがないということで、追手は洞窟を通り過ぎ、家康公は難から逃れたという言い伝えがあり、現存するその洞窟は「鳩...
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