ここに祀られているのは弁天様、弁財天とも呼ばれる神様です。本来は弁才天と呼ばれる「水の神様」でした。その後、様々な神様の性格が加味され芸術・学問の神様となりました。琵琶を持つ弁天像も多く残されており、音楽の神さまとしても親しまれています。また七福神の一人に数えられたことから、近年では弁財天と呼ばれることも多くなってきました。このように弁天様とは複数の異なった性格が与えられ、様々な側面を持つ神様なのです。この弁天宮は天保2年(1831年)に大漁祈願のために建てられました。「大漁祈願」ですから、弁天様の「水の神様」と「七福神」の二面が尊ばれたのでしょう、きっと。 ところでこのお社は陸から少し離れた小島の上にあります。遠目には海上の島に見えます。「遥拝」写真を撮って済まそうと思いましたが、近寄ってみるとなんと階段があるじゃないですか。島ではなく「基部が海食を受けた岬」だったのです。要するに陸続きなのです。仕方ない、行くしかありません。バッテリーパックの着いた重たいフルサイズカメラを提げ、炎天下の階段を往復しました。 階段はいったん海面近くまで下がり、そこからお社のある小島まで登ります。結構急な階段で、途中2度ほど小休止しました。ただし眺めは秀逸です、奥尻に来られたらぜひ参拝してください...
Read more奥尻町教育委員会の説明文によると 文政年間(1818~1829)に宮津地区の漁民の手によって氏神として境内と社殿が創設され、海上安全と豊漁を祈願して弁財天が祀られました。その後、改めて広島の厳島神社より宗像三女神が祀られ、天保12年(1841年)に祭神(長女の澳津島姫命)が奥尻地区に移され、現在の澳津神社となりました。以降は「宮津弁天社」や「中津島神社」とも呼ばれています。 この岩山には古くは9世紀頃のアイヌの砦であるチャシ(宮津チャシ跡)が築かれていたと考えられ、そのチャシは茶津(宮津の旧名)の語源になったといわれます。奥尻海峡を行き来する船を見渡せる場所であり、神社が建立される以前から奥尻島において重要な場所であったと思われます。 本殿は大正2年に改築、昭和45年に新築建て替え、平成11年に改築されています。島内最古の神社祭祀の場所として、また景勝地として重要であることから町指定有形文化財となりました。 とあります。 トイレとベンチが6つある駐車場からは、83段の急な階段を下り、さらに81段を上らないとたどり着けません。ハートランドフェリーからも見える真...
Read more457. 2018.09.02
道々39号沿いに社殿へと 続く階段があります 。 急斜面の階段を下って 今度は社殿のある 岩の階段を上って行きます 。 階段の下りと上がりの 中間に鳥居があります 。 下りの階段が怖い方は 道々39号の下にある漁港へ 行くと中間の鳥居に来られます 。 そこから上がる事もできます 。 社殿へ上がったら 帰りは下りなんですけどね …
赤い社殿が鮮やかで美しく とても目立つので フェリーからもすぐ分かります 。 独特な屋根の造りが印象的です 。 チョンマゲみたいなのカッコいい 。 階段からの景色が素晴らしいので 天気の良い日の参拝がオススメです 。 無人の神社さんになります 。 本務社の 澳津神社さん...
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