信州と松本藩の歴史に関する史料『信府統記』――江戸時代に編纂――によると、福満寺は7世紀に役行者小角が開基し、9世紀半ばに天台宗元祖最澄の直弟子、慈覚大師が建立したのだとか。小角は、戸隠の岩殿で修行中に麻績聖山から薬師如来が現れたことから、この地に修験霊場を開いたという伝説があります。 その後、慈覚大師が東国巡回で麻績郷に立ち寄ったときに道に迷ううちに薬師如来の霊光に導かれて聖山中腹に到達し、そこに天台密教修験の霊場をつくり福満寺を建立したのだそうです。 布光山という山号は、役行者も慈覚大師もともに薬師如来の光に導かれてこの地に霊場を築いたということから名づけられたそうです。 開創の頃には、上井堀と呼ばれる現在地よりもさらに山奥の聖山の南斜面の断層崖を背にしたところ――標高1000メートルほどで池の近くか――だったと伝えられています。 今ではその地は「寺所てらどころ」と呼ばれていますが、ほかにも寺の周囲には「薬師の蓮池」「鐘撞堂」「坊平」「東大門」「半在家」など、修験寺院と関連する地名が残っています。してみれば、この山奥には、修験霊場と七堂伽藍を備え、多くの院坊が並んだ寺町というか、高野山を小さくしたような大きな街集落があったのかもしれません。 そこには、中国留学を経た高僧や学僧、修験者たちが多数集住し、高度な知識技芸や奈良や京洛との密接な文化的交流を保つ拠点都邑があっ...
Read more麻績村最古のお寺。木造では東日本随一という4m近い薬師如来像をはじめ、月光菩薩・日光菩薩・不動明王・毘沙門天の5つの国指定重要文化財の仏像が瑠璃殿にまつられていてとても立派でした。護摩堂も昔の百人一首が飾られており、貴重なお寺です。お盆だったので護摩堂も開いていたのか護摩堂の所に瑠璃殿の拝観料500円とあり、本堂に行ってみるとたまたま?地域の方がいらして瑠璃殿と護摩堂を拝観させて頂けました。ネットには重要文化財の見学には事前に麻績村教育委員会、もしくは管理を行っている地域の方までご連絡をお願いしますとなっており、...
Read more信州麻績村の文化財。 平安時代に創建の天台密教の寺。東日本随一の大きさを誇る薬師如来坐像(国指定重要文化財)、日光・月光菩薩座立像(国指定重要文化財)などが一堂に配された瑠璃殿。 昔は50年に1度のお開帳時にのみおがめることのできる秘仏であったとのこと。今でも、大晦日と5月3日の縁日(本日)のみ拝観できる。静かな瑠璃殿にはわれわれのみ。時間を気にせず、対座できました。 こんなリッチな場所、そうめったにはありません。寺外では、地元の方が無料でコーヒーのサービス、一言、「お参り...
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