全然行く予定はなかったのですが、縁切寺があるとわかり、立ち寄りました。資料館で映像や説明書きを読み、外にある歴代の僧侶のお墓に手を合わせたり、池を泳ぐ金魚を眺めたりできます。屋外を見て回ることが無料ですが、館内は有料で200円のお支払いが必要です。御朱印風の物は無料で頂けます。お札の縁切りと縁結びのワンセットも数百円と有料でした。書き損じた場合は受付に申し出ると対応してくださるようでした。縁切りの日、縁結びの日と案内書きもありましたが、職員の方によると、縁切りしたいなど思い立った日が吉日といった趣旨の説明を受けました。お札の書き方も、記載台に分かりやすく記載例がありますので、参考にして作成することが出来ます。お札には、しっかり、しっかり、しっかりと記載し、トイレに流しました。帰る際に駐車場で写真を撮影後、気持ちがスッキリしていることに気が付きました。両手を上げてガッツポーズしました。相当な想いを流してきたんだと思います。叶うといいな。 昔の女性は自由に男性とお別れすることも出来ず、男性次第で幸せ不幸せが決まってしまう時代だったのかなどと思いました。女性の人権の低さと女性への尊厳の軽視があったと理解しました。当時の女性の生き方に制限があり、辛く苦しい思いをされた当事者の気持ちを思うと胸が苦しくなりました。自分が自分らしく生きていけるよう、考え行動し実現し、明日以降の未来の自分が少しでも多くの幸福を実らせ心豊かに過ごし、充実した人生を送れるよう意識していきたいと思いました。縁切寺を利用された女性達の資料記録から改めて再認識することができました。我慢や諦めることを1つでも減らし、生まれてきたことを良かったと心から思える人...
Read more満徳寺(まんとくじ)は、群馬県太田市にある、かつて江戸時代に女性の離婚を助ける「縁切寺」として知られた尼寺です。
江戸時代、女性が自分の意思で離婚することは非常に困難でした。そのような時代において、幕府公認の縁切寺は全国に2ヶ所しかなく、鎌倉の東慶寺と、この満徳寺でした。満徳寺は、夫からの離縁を望む女性が駆け込む「駆け込み寺」としての役割を担っていました。寺に駆け込んだ女性は、一定期間(足かけ3年、25ヶ月)滞在することで、寺が夫側に離縁を働きかけ、離縁状を得ることができました。
徳川家康の孫娘である千姫が入寺したと伝えられており、これが満徳寺が幕府公認の縁切寺として認められた背景にあると言われています。徳川幕府の庇護を受け、その寺法は強い権威を持っていました。
現在は「縁切寺満徳寺資料館」として、当時の縁切りの仕組みや満徳寺の歴史、徳川家ゆかりの品々などが展示されています。
資料館内には、悪い縁を断ち切り、良い縁を結ぶためのユニークな祈願方法があります。願い事を書いた「縁切札」(白い札)と「縁結札」(赤い札)を、それぞれ専用の白いトイレと黒いトイレ...
Read more先日、板橋にある「縁切榎」で縁切りをお願いし、今回はその続きで縁切で有名な「満徳寺」に行ってきました。 こちらは資料館になっていて、入館料200円。 昔、男女問題で旦那からの暴力などで離縁したい女性が逃げ込む場所であり、本当の駆け込み寺だったそうです。 入館料を払って中に入ると、先ずこちらのお寺の説明ビデオ2本を観るように促されます。そう長くはないのでぜひ観て下さい。分かりやすいビデオでお勧めです。
そして館内を見て回り、いよいよ縁切り、縁結びの流し場所へ…。 受付で「縁切り縁結び」のセットを200円で購入し、しっかりとお願いをして流しました。 縁切り縁結びの札は、それぞれ赤と黒のペンで分けて書きますのでお間違いなく。ペンは書き台にありますので、持参しなくても大丈夫です。
こちらの満徳寺は、昔に火災で焼失してしまったために再建されたとのことです。 現在はお寺としての機能は果たしておらず、本堂も上がって見学ができます。 すべてを含めて貴重な場所であり、体験をさせていただきました。 太田に来られたらぜひ訪れてみて下さ...
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