通りすがりに偶然、古い山門を見かけて立ち寄ってみたら、新田義貞公の実弟であった脇屋義助公ゆかりのお寺でした。 脇屋義助は、生品神社に兵を挙げた兄に寄り添い、義貞が越前で倒れるまで共に戦い、兄亡きあとは、南朝方の総大将として奮闘しましたが、故郷に遠い伊予の地に病没しました。 その遺髪は家臣の手によって、この正法寺に届けられ、以来その名を脇屋山正法寺と改めたといいます。 敷地内にある義助の像は、知的で凛々しく、温容な人柄をも偲ばせます。 あまり知られていませんが、義助公の遺髪塚の奥には見渡す限り、真紅の彼岸花が咲き乱れています。 早川渕の彼岸花の里や御嶽山自然公園の彼岸花もいいですが、こちらの静かな雰囲気はまた一層、彼岸花の美しさを引き立...
Read more脇屋山正法寺(わきやさんしょうぼうじ)は高野山真言宗の寺で、寺伝によると、山城国醍醐寺開山の聖宝が源経基の請願を受けて延喜年間(901~923)に開山し、古くは聖宝寺と呼んだと伝えられています。元暦年間(1184~1185)に新田義重が堂塔を修理し、元弘年間(1331~1334)には脇屋義助が脇屋郷及び大般若経600巻を寄進したと伝えられ、脇屋氏の菩提寺ともなり、境内には義助の遺髪塚があります。江戸時代に火災に遭い、脇屋館跡のある観音免から移転したといわれています。(市ホームページから抜粋)入口には仁王尊と大きなドラが...
Read more最寄り駅は東武線三枚橋駅、歩いて25分位 寺伝によると、聖宝が源経基の請願を受けて延喜年間(901~923)に開山、元暦年間(1184~1185)に新田義重が堂塔を修理し、元弘年間(1331~1334)には脇屋義助が脇屋郷及び大般若経600巻を寄進したと伝えられ、脇屋氏の菩提寺となり現在遺髪塚や像、層塔仁王門等在りますが元々脇屋館跡隣接地観音免に...
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