Visited this place in 2016. It's just 700m from otaki station. This castle is an alternative destination, quiet, no long lines. Admission fee was 200 Yen when I visited the castle in 2016. I got free photo with samurai costume. Besides of language barrier, staffs were so friendly...
Read more大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代かけて存在した日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。
天保13年(1842年)の天守焼失後、焼失した天守に代えて「神殿」と称する建物が建てられたとされるが、大多喜藩が財政難に苦しんでいた時でもあり、粗末な建築物だったのではないかと、この城を研究した渡邉包夫は考えている。火災があったことに関しては、昭和48年(1973年)の学習院大学の発掘調査でも大量の焼土が発見されたことで裏づけられているが、改築および天守建築を否定する説もある。小高春雄は改築そのものを否定する日本工業大学の見解を紹介し、やや否定説に傾きつつも、渡邉が発見した大多喜城天守絵図面の存在から完全に否定できないとする、玉虫色の見解を示している。
天守存在説に関しては学界でも論議があり、非実在説もある。非実在説の根拠としては、
寛文年間と推定される大多喜城の絵図には、天守が描かれていない。
上記の通り、寛文11年の記録には「一重の塀もないありさまで、門や櫓などもない」とある。櫓もないのだから天守もなかったのではないか。
また、元禄3年の『土芥寇讎記』にも、「塀もない状態、ましてや門や櫓などあろうはずがない」と書かれているということは、この時点でも天守はないのではないか。
サン・フアン・デ・ウルア要塞守備隊長やフィリピン総督を歴任したドン・ロドリゴが、慶長14年(1609年)にこの城を訪れているが、ドン・ロドリゴの記録『日本見聞録』に天守が登場しない。
発掘調査時に天守石垣の痕跡がなかった。
などが挙げられているが、2通りの天守絵図が存在することや、本丸は明治時代に削られたために石垣の痕跡はそもそも見つからないのではないかという反論もあり、現在でも結論に至っていない。このため、この城の再建天守の評価が書籍によって「復元」「復興」...
Read more[2019/03/31]かつての家康時代に四天王と呼ばれる家臣の団の一人として極めて有名な本田平八郎忠勝が治めたお城です。
規模としてはこじんまりとした感じで、二の丸跡は現在は地元高校という環境。事前情報なく出かけたのですが、この日は「春のさくら祭り」とのことで満開の桜が咲き誇り、素晴らしい景観の中で楽しませてもらいました。
城自体は残念ながら鉄筋コンクリートの建て替え城で、往時の姿を偲ぶことは叶いませんが、忠勝ゆかりの甲冑や家康直筆と伝えられる天狗の絵巻、火縄銃や刀といった展示がいくつかあります。観覧料が大人で200円、中学生以下は無料ですので、その辺りで展示規模は察してもらえたら良いかと思います。
子供撮影用に兜と陣羽織を着れるコーナーがあり、小学校高学年であれば甲冑帷子も着用可。係の方が優しく丁寧に着せてくれます。子供はなかなか夢中でした。
なお、城付近付近には関連した記念館などは見当たらず、そこまで観光地化しているわけでもなく、最寄り(といっても歩くと10〜15分くらいかかるのではないかと思われる)のいすみ鉄道という単線駅付近もお土産屋さんがある程度で、よくいえば下手な観光地商業で荒らされておらず、悪く言えば城以外にはあまり見るべきところはない所ではあるので、「一日中楽しみたい」「周辺施設も含めて巡りたい」という希望の方にはあまりオススメできないかもしれません。
あくまで"城好き"のための山城ス...
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