道の駅に併設されている関寛斎資料館。入口が小さいので見落とされる方も多いと思う。併設されていることもあり、とりあえず的な資料館かと思ったら、中はかなり広く、ゆっくり見ていると軽く1時間はかかる。関寛斎に関わる、幕末をとても丁寧に見せてくれる。 道民ですら、子供の頃、北海道の開拓で関寛斎を教わることはなかった。私が知ったのは司馬遼太郎の街道をゆくでした。72歳という年齢で、日本で一番寒いと言われる陸別に何故開拓し、医者という人の命を救う人が、この地で非業の死を遂げたのか知りたく記念館まで足を伸ばした。 こんな内陸で、どれだけ過酷だったのだろうかと思う。木を倒して切り株をおこすだけでも72歳には想像絶するくらい大変だったろうと思う。 多分、ここの記念館には小学生などが地域学習で利用するため、最後のことは、はっきりと書かれてない。
余談ですが、司馬遼太郎は、関寛斎を含め日本の医療の創成期を胡蝶の舞で書かれている。最後の関寛斎の章...
Read more司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んで以来、佐藤泰然、松本良順、関寛斎、司馬凌海(伊之助)が関わるさまざまな場所を訪れている。
ー 4人が関わった佐倉にある順天堂 ー 司馬凌海(伊之助)の生まれ故郷である佐渡島 ー 関寛斎が生まれた千葉県九十九里界隈、貧しい人々に無料で診療し、種痘の普及に尽力した徳島 ー 松本良順、関寛斎、司馬凌海(伊之助)がオランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに最新の医学を学んだ長崎
関寛斎は、明治35年72歳にして一念発起し、徳島を離れ原野だった陸別の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を開拓したのちにその土地を開放し、自作農創設を志すが長男の反対などがあり果たせず、大正元年82歳にして服毒により自らの命を絶っている。
まさに、私と同じ年齢でここに開拓のために来ている。
そんな風景を...
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