悪いものが入り込めない神社だと思います。 とても清浄な空気で満たされていました。
元服の儀は現在でいう成人式と似て非なるもので、その氏族の一員としてあらゆる行事に参加できる事になり、大人になっておめでたいというだけの成人式とは違うものでした。とても重い責任のある儀式だったのです。
しかも平家の追手が少年姿の牛若丸を探しているため、急遽な元服をして、大人の姿をしなければならないという状況でした。そういう元服したという感慨にふける時間もなかったかもしれません。
烏帽子をかけたという松の木を見ると涙が溢れそうになりました。源義経は享年30歳でした。まだまだ若い義経が自害して果てる時には、そのあまりの悲運な生涯を振り返り、どんなに無念な気持ちになったでしょう。きっと烏帽子掛けの松を、鏡神社を思い出したはずです。
史実は残っていても、義経の短い激動の生涯がどのようなものであったのか、実際どんなものか体験するのは大変難しいでしょう。その一部に触れる事ができるのが元服の地で...
Read more天日槍命が御祭神で祀られています。新羅と我が国が親密だった事が分かる神です。
朱色の明神鳥居は近畿では丹波地方で見られる額束に屋根がついている美しく形をしています。 鳥居を抜けると周りの木々が護るかのように国道8号線の雑踏は聞こえなくなり参道は短いですが心が洗われます。 手水舎の柄杓は竹で出来ていて侘寂感があって良いです。清めると神楽殿があり大きくて年中行事では大切に使用されているのがわかります。 本殿は南北朝時代の建築風で三間社流造でコケラ茅葺き屋根で品が良く周囲の鎮守の杜と整合されていて自然と人工物が一体化した心地よさを与えてくれます。建築は南北朝時代かも知れませんが、この一体感は自然信仰の時代から、この地はあったのかも知れません。 御朱印は神楽殿に置かれていて、300円か200円だったと思います。公共交通機関でも来れますが近くの道の駅に駐車しておとず...
Read more12月 28日 とがらい祭りが行われ、源義経の偉業を偲ぶ行事があります、牛若丸が奥州に下る途中、ここで泊って元服をした故事を伝えたものだといわれています。御祭神 天日槍尊、配祀神 天津彦根命 天目一箇命。本殿 三間社流造 、拝殿 入母屋造 。本殿、石灯籠、宝篋印塔は国指定重要文化財...
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