58.57.56.54.55.今治城.59.61.62.63.石鎚神社と来て64番へ。 こちら山の麓にあるので空気も綺麗、非常に雰囲気も良い寺でした。
四国八十八ヶ所霊場会HPより 山岳信仰の山として崇拝される日本七霊山の一つである石鎚山(標高1982m)の麓の霊場で、真言宗石鈇派の総本山であり、修験道の根本道場でもある。 開創は、天武天皇(在位673~86)時代に修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことに縁起する。その後、桓武天皇(在位781~806)が病気平癒を祈願し成就されたことにより七堂伽藍を建立し、勅願寺「金色院・前神寺」の称号を下賜された。以降、文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かった。 後に空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを行ったことが知られている。 江戸時代には、西条藩主松平家の祈願所となり三つ葉葵の寺紋を下賜するなど寺運は隆盛を極めたが、明治維新の神仏分離令により寺領を没収され、一時は廃寺を余儀なくされた。明治22年に前神寺として復興をはたし真言宗石鈇派総本山...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗石鎚派の総本山になり石鎚山金色院前神寺といい、霊場第六十四番札所になります。 前神寺は修験道の根本道場として栄えてきた、開祖の役行者が石鎚山で修行したのは七世紀後半の天武天皇の頃とされる。 縁起によれば役行者が釈迦如来と阿弥陀如来が石鎚山蔵王権現となって現れたのを感得しその姿を刻み祀ったのが始まりと伝わる。 その後、桓武天皇が病気平癒の祈願をしたところ成就できたため七堂伽藍が建立され金色院前神寺の称号を賜ったという、寺は勅願寺となり歴代の天皇からの帰依も篤かった。 石鎚山は山自体が御神体のため人々は前神寺で拝んだ、里前神寺とも呼ばれ江戸時代には西条藩松平氏の祈願所になるなど隆盛を極める。 明治初年の神仏分離令で廃寺となり、前神寺があった場所には石鎚神社が建立されている、明治二十二年(1889年)に東へ数百m行った旧讃岐街道沿いの現在地で復興する。 《権現》とは、衆生を救うためいろいろな姿となり権(仮に)に現われた仏や菩薩のことをいう。 本地である本来の姿を変え垂迹身(すいじゃくしん)となったもので神仏習合の時代では神も仏も同...
Read more自転車遍路でお邪魔しました。 神前寺は63番札所吉祥寺から3.5km程、石鎚神社のすぐ隣にあります。
石鎚山の7合目標高1400m、現在の石鎚神社中宮成就社のある場所がもとの寺域だそうです。 石鎚山の別当寺として石鎚信仰の根本道場でした。
天武天皇の時代に役小角が石鎚山で修行をしていると、釈迦如来と阿弥陀如来が人々を苦しみから救うために石蔵王権現となって現れました。 悟りを得た小角は尊像を彫り安置、祀ったのが本寺の始まりとされています。 前神寺は歴代天皇の信仰が厚く、仏像や経巻がしばしば奉納されました。 江戸時代には西条藩主の松平家からも信仰が篤く、栄えてきたお寺です。
前神寺が建つ場所は、江戸時代には塔頭・医王院があった場所だそうです。 明治時代の廃仏毀釈で、1875年(明治8年)に廃寺となりました。 その後、1879年(明治12年)に檀家などにより復興願いが出され、前上寺として復興しています。 前神寺は石鎚山信仰とともに栄え、現在の信徒は30万人を超えるといわれています。 石鎚山の夏の大祭「お山開き」が行われる毎年7月には、大勢...
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