祓戸四柱と龍神巡り好きなだいふくです🐈
速川神社にきました まぁまぁ体力使いました☺ 祓戸四柱が居られる神社であり 龍神が居られます。 祓戸四柱のうちの 速開都比売神は記紀で出てきますが 残りの三柱
瀬織津姫 速佐須良比売神 伊吹度主
は大祓祝詞にしか出てこず記紀では一切出てこない神様達です。いわゆる消された神々です🐈
養老4年(720年)に編纂された日本書紀があります、この日本書記は、天武天皇の第三皇子である舎人親王(とねりしんのう)が中心となって編纂したものですが、その後ろ盾には、藤原不比等(ふじわらのふひと)の力が及んでいたようですね 645年に起きたクーデタによる政変を、「大化の改新」と呼びます、その中心人物となったのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。中臣一族は藤原氏となって、政治の主役に出てくることになります🐈
そして朝鮮では百済、高句麗らの内戦でたくさんの知識者、技術者らが日本に逃げてきます。唐からもたらされた新しい知識を使い、律令制と天皇を中心とする中央集権国家をつくり上げていくことにになるのですが。更なる飛躍のために和銅3年(710年)、平城遷都が行なわれました。 唐の都、長安にならって平城京は造営されていきます。 日本書紀が編纂されたのは、この様な慌ただしい時代でした🐈 685年、天武天皇の勅命により、伊勢神宮内宮の遷宮がおこなわれます。 これによって、伊勢神宮はほぼ現在に近い様式で祀られることになりました。
日本書記は中臣・藤原政権が、朝廷の皇祖神である、天照大神(あまてらすおおみかみ)を日本の絶対神とする祭祀政策のために作り上げたものです。 その絶対神、天照大神のイメージを損なう神として、天皇制の問題に係わるタブーの神として、消されて行くのが、瀬織津姫達
縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていまして。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫です🐈
天武天皇から持統天皇時代は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからですね🐈 伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令します。 瀬織津姫の名を全国から奪っていき抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようです。 さらに、名を奪うだけではなく悪い印象操作を行います『倭姫命世記』では 八十禍津日神(災厄の神)と名前をつけられています。
その作業は驚くことに明治時代まで続きます
信仰深い人達は隠れながらに瀬織津姫を大事にしてきました。 弁財天にしたり、十一面観音にしたり江戸時代、仏像を彫って全国を歩いて回った円空も瀬織津姫信仰を奪われた人々と消された神々を埋葬していった1人です。この円空は瀬織津姫を消す側の藤原一族の出自というのがまたビックリ😮
消された理由はこんな感じですね
瀬織津姫、速佐須良比売、氣吹土主は 縄文、国津神の龍神です。
速佐須良比売と速秋津比売は捕縛され 氣吹土主はもともとこの世にはおらず 瀬織津姫は殺されてると考えています
で。この瀬織津姫は伊勢神宮に祀られてるのは有名ですよね。 瀬織津姫の祟りを恐れ伊勢に祀ったわけですが🐈
式年遷宮が20年おきに神殿を建て替えられています。本当の建て替えの理由は
20数年を経過すると蓄積された龍神の力が結界を破る勢いで湧き出るため伊勢神宮の呪詛の効力も小さくなるためです。伊勢神宮の床下に神聖な柱を埋めていますが、これに呪詛を掛け、瀬織津姫を柱に封じ込めています。式年遷宮の本当の儀式の意味は これです🐈
だいふくは100円で卵とろうそくを買って 拝殿でお供えしてましたが中には居られず 手水舎が気になったので覗いてみました やっぱり龍神さまは水の近くにいますね☺
速川神社は祓戸四柱を圧政にも屈せず護ってきた貴重なお宮です。
ぜひ行かれてください🐈
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Read more神社由来によると天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命を受け新しい土地を求めて南下された天孫、邇邇芸命(ニニギノミコト)は、お供の1人である瀬織津姫を速川の瀬で急流に足を取られ亡くされました。邇邇芸命は深く悲しまれこの地に小さな祠を建立して、御霊を慰めたことに始まるという伝説が残されています。 当社の創建については詳らかではないが、速川の瀬の左岸に祭祀され瀬織津比咩命を主祭神として祓戸4柱大神を斎奉る神社であり、1764年生まれで郷土史跡研究家の大家「児玉實萬氏」の神代都絵図に描かれています。 大正3年内務省が選定し伊勢の大神宮を初めとして日本全国の神宮また神社において奏上致しております。 中臣の大祓詞よし引用しますと、「速川の瀬に座す瀬織津比咩命という神」と書かれて有り、既に奈良時代以前より祭祀されていたものと思われ霊験灼か成る事は他に無く、その起因の古きは推し量ることができるかと思います。 明治4年に発行された「県令郷社定則」に基づいて、明治39年に児湯郡上穂北村鎮座「若宮神社」現在の西都市大字南方島内村鎮座「南方神社」に遷宮され境内社として一隅に祭祀されておりましたが、大正14年に現在の所に正遷宮し昭和46年4月に宗教法人速川神社となりました。 神社の周辺には昔から、男滝・女滝・蛇滝等と称する滝が7滝ありと語り継がれ、その内の蛇滝が今の龍神の滝(本殿横にある滝)にあたると言われております。現在も参拝者が「生卵1包(2個)」を供えて祈願する習慣は、この7滝に捧げる龍神信仰から発生したものとも思われます。 御祭神は瀬織津比咩命(セオリツヒメノミコト)と速開津比咩命(ハヤアキツヒメノミコト)、気吹戸主命(イブキヌシノミコト)、速佐須良比咩命(ハヤサスラヒメノミコト)お祓いの4柱の神を奉斎し、罪穢れを祓い清め厄祓いを始め、家内安全、病気平癒、各種試験合格、その他諸々の願成就の神様として崇敬されています。 本居宣長は、八十禍津日神を祓戸神の一柱である瀬織津姫と同神としており、 別名は天照坐皇大御神荒御魂(アマテラシマス スメオオミカミノアラミタマ)又の名を撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキ イツノミタマ アマサカル...
Read more今の小生には再訪困難な社がいくつもあって、その一つが西都市の山中に坐す当社。駐車場から河原へ降り、低い歩道橋(洪水時は沈む潜水橋)を渡って後は1km近く山登りするので、心肺足腰に不安がある状態では無理がある。健康な人なら、夏の暑さと蟲以外は問題なかろう。なんとも美しい環境にあり、途中に水呑場もあり、そこらを這うカナヘビまでキラキラしい。
当地では珍しいことに、瀬織津比賣(せおりつひめ)以下、祓戸四神を祀る。速開都比売(はやあきつひめ)氣吹戸主(いぶきどぬし)速佐須良比売(はやさすらひめ)といった面々は、日本書紀の一書に「水門神等號速秋津日命」とある以外、大祓祝詞ほか祓詞にのみ登場する。
(天津神・国津神が)……祓(はら)へ給(たま)ひ清め給ふことを 高山(たかやま)の末(すゑ)・低山(ひきやま)の末より さくなだりに落ち激(たぎ)つ 速川(はやかは)の瀬(せ)に坐(ま)す 瀬織津比売(せおりつひめ)といふ神 大海原(おほうなばら)に 持(も)ち出(い)でなむ。 斯(か)く持ち出で往(い)なば 荒潮(あらしほ)の潮の八百道(やほぢ)の 八潮道(やしほぢ)の潮の八百会(やほあひ)に坐す 速開(はやあ)きつ姫といふ神 持ちかか呑(の)みてむ。 斯くかか呑みてば 息吹(いぶ)き処(ど)に坐す 息吹き処主といふ神 根(ね)の国(くに)・底(そこ)の国に息吹き放(はな)ちてむ。 斯く息吹き放ちてば 根の国・底の国に坐す 速流離姫(はやさすらひめ)といふ神 持ち流離(さすら)ひ失(うしな)ひてむ。 斯く流離ひ失ひてば 罪(つみ)といふ罪はあらじと 祓へ給ひ清め給ふことを 天つ神・国つ神 八百万(やほよろづ)の神たち 共(とも)に聞(き)こし召(め)せと白(まを)す。
瀬織津比売とは、たぎつ姫のことか。速開都比売は水門(みなと)の神、氣吹戸主は伊吹山の主。 祓戸四神が生前から顔見知りだった可能性は低いのに、大祓では見事なチームプレーを見せる。
拝殿に上がり拝礼。作法として卵二個蝋燭二本持ち、蝋燭を灯し卵をお供えするなどと指定があり、そんなもの都合よく持って来てはいないと慌てたが、しっかり社務所に売っていた。卵は、お使いの蛇神が召し上がるものらしい。蛇神自体が水神として拝まれることも多く、拝殿下には小さな滝があって瀬織津姫が溺れた場所という。水神の一種ということか。
不便な場所にあるだけに、神社らしい神秘的な雰囲気は、ちょっと他にない。身体さえ動...
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