伝承によれば、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が金山の麓にある泉の水を持ってあらわれ、その水を兵士に飲ませた。すると、全員が命を吹き返して助かったという。それからこの泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれるようになったという。(弥蘇波から転じたとの説もある) その後、寺伝によると、天平年間に行基は、カナヤマビメカナヤマビコが鎮座する金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創した[3]。さらに後、空海(弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき、金山権現の化身である天童が現れ閼伽井を汲み大師に給仕し、この山の仏法を守るようにと宝珠を預けた。大師はこの宝珠を嶺に埋め、荒廃していた堂舎を再興し、その寺を摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と号した[4]。 また大師は、その霊域にあった霊木で本尊十一面観音、脇侍阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を刻造して安置した。そして、金山ノ薬師は札所[5]となり、それらの霊験著しく七堂伽藍が整い境内は僧坊を二十余宇も構えるほど隆盛した。 時代は下って、崇徳上皇は、保元の乱(1156年)で敗れ讃岐国に配流となり、最初の約3年は雲井御所で過ごし、その後、情勢の変化により厳しく管理するため当所に移され[6]約6年余り幽閉され長寛2年(1164年)旧暦8月26日に崩御した。上皇の亡骸の処遇について京から返事の使者を待つあいだ、金棺を冷たい八十場霊泉に浸し、清水をかけ続けたところ、21日間過ぎたのちも上皇の顔はまるで生きているごとくだったという。その間、霊泉から東へ約200mの所にあった上皇の御所の辺りから毎夜神光が放たれ森が光ったという[7]。やがて返事が届いて上皇は白峯山に葬送され旧暦9月18日山上で荼毘に付された。そして、二条天皇は、崩御の地に一堂を設けるよう沙汰を下しており[8]、上皇が最期に住んだ終焉の地であり神光が光った上皇の魂が宿る御所跡である当所に、霊を鎮めるためその年の内に御廟が建てられた。また、寛元2年(1244年)後嵯峨天皇の宣旨により崇徳天皇社は再建され、摩尼珠院はその別当職に任じられ崇徳院永代供養の寺という役割を担わされた。そして、いつの頃か札所は金山ノ薬師から崇徳天皇社とその別当摩尼珠院となった。ゆえに人はみな摩尼珠院は「天皇寺」と呼び、崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれるようになった。また、このあたりを「天皇」という地名で呼ぶようになったが、恐れ多いので「八十場の霊水」から名をとり、現在は「八十場」と呼んでいる。江戸時代末期の納経帳には「奉納経 本尊十一面観音 崇徳院御鎮座所 讃州...
Read more四国遍路第79番札所「天皇寺」は、香川県坂出市の東の山の麓に建っているお寺です。 境内の入り口には鳥居が建っているので神社と間違えられるほどです。⛩️ 天平年間に四国巡錫の為に当地を訪れた行基は、鉱石が多く産出されるこの山が、カナヤマビメとカナヤマヒコの御座す山であるとし、金山と名付ける。そしてこの金山中腹に薬師如来を御本尊とした金山摩尼珠院を建立し、この地が神仏習合の地であることを現した。 後の弘仁年間に空海が訪れ、朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の79番札所の場に移動させ、金華山妙成就寺摩尼珠院として中興する。空海を中興の思いへと向かわせたのは、御神体金山を鎮護する金山権現との出会い、そして金山中腹より湧き出る御神水との感応にあった。ありとあらゆるすべての蘇生が可能であると確信を得た空海は、この耶蘇の地にて十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を刻み堂宇に安置する。 後の保元の乱により讃岐へと配流された崇徳天皇と空海御手彫阿弥陀如来の出会いは、空海中興金華山妙成就寺摩尼珠院を崇徳天皇永代別等職へと至らせることとなる。 崇徳天皇御崩御の後、寺院境内に崇徳天皇社が造営され、後嵯峨天皇による永代別等職の詔を賜り、崇徳天皇供養の寺、崇徳天皇寺と呼ばれるようになった。 明治時代の廃仏毀釈による廃寺という現象は、筆頭末寺であった奇香山仏乗寺高照院院主らの尽力による、今日の金華山天皇寺高照院を生み出すこととなった。 この次80番札所へは、旧国道11号線の県道をさらに高松寄り...
Read more自転車遍路でお邪魔しました。 78札所郷照寺からは約6kmで、ほとんどが平坦部のルートです。 途中アーケードのある商店街を突っ切りますが、多くはシャッターが下りていました。 JR予讃線の金山国道踏切を越えると、若干の上り勾配で天皇寺に到着します。
天王寺は仁王門はありませんが、その代わりに鳥居があるんですよ。 白峰宮の鳥居なんですが、パット見ると何で寺に鳥居がと思ってしまいます。 明治時代までの「神仏習合」のなごりなんでしょうか。
天皇寺は742年(天平17年)に、行基菩薩によって堂宇が建てらました。 天皇寺がある八十場には、「八十場の霊水」と呼ばれるる伝説があります。 弘仁年間に弘法大師が八十場の泉を訪れた際、この山を鎮守する権現が天童となって現れました。 永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を弘法大師に預けました。 弘法大師は宝珠を山嶺に埋め、弥蘇場の霊域にあった霊木で本尊とする十一面観世音菩薩を彫造しました。 そして摩尼珠院を創建したのが、天皇寺の始まりと伝わっています。
天皇寺の敷地に、白峰寺の参道が貫いているんです。 天皇寺の本堂や大師堂をお参りするのに、白峰寺の参道を...
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