Temple is located in a calm and quiet place. I had visited it twice. Being unfamiliar with the resemblance between Hindu and Buddhist/Jain rituals, I was surprised to understand the similarities with the Hindu temples in India and this shrine. Overall, it was a good experience spending...
Read more2024.04.27 白砂に描かれた砂紋と色鮮やかな躑躅の枯山水庭園が素晴らしく位牌堂以外の本堂、経蔵、総門、山門、庫裡、書院、蔵などはすべて江戸時代以前の建物が残っています。 特に、山門は桃山様式で伝承では関ヶ原の合戦後、当時の領主・有馬豊氏が豊臣家から譲り受けた有馬湯山御殿の遺構の一部だといわれています。 白洲次郎と正子夫妻の墓所がある寺として知られていますが三田藩主・九鬼家の菩提寺でもあり、寺の名前も、初代三田藩主・九鬼久隆の父で鳥羽最後の城主であった九鬼守隆の戒名「松嶽院殿心月善光大居士」から一部を取って名付けられたものです。 元々鳥羽を治めていた九鬼家は織田信長や豊臣秀吉のお抱えの水軍として活躍し、その名を全国に轟かせていました。 しかし、1633年に海がないここ三田に国替えとなってしまい水軍を維持することができなくなってしまいました。 国替えの理由として、実は力をつけすぎた九鬼家の水軍を徳川幕府が恐れて三...
Read more三田市西山にある心月院は、白洲次郎と正子夫妻の墓所がある寺として知られていますが、本来は三田藩主九鬼家の菩提寺とのこと。
豊臣秀吉ゆかりの梅林寺を初代藩主九鬼久隆が増改築して心月院としたそうです。
そもそも寺の名前も、初代三田藩主・九鬼久隆の父で、九鬼家の鳥羽最後の城主であった九鬼守隆の戒名「松嶽院殿心月善光大居士」から一部を取って名付けられたものなのだとか。つまり、久隆が父を鳥羽から移し葬るために創建されたことを表しています。
白洲家も、元々は三田藩の儒者の家柄だったため、心月院に墓があるのですね。
さすが、藩主九鬼家歴代の菩提所。本堂の中に九鬼家系...
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