壬申の乱の際の陣地 2024年5月上旬、レンタサイクルによる関ヶ原探訪の際に寄りました。 関ヶ原で思い浮かぶのは戦国時代の関ヶ原の戦いですが、さらに900年程前にあった壬申の乱の舞台でもあります。 こちらは道路から奥まった場所にひっそりあります。 石垣が残っていますが当時のものかはわからないそうです。 駒札には ————————————————————— 野上行宮跡 古代最大の内乱と言われる壬申の乱(六七二)において、大海人皇子は野上の長者屋敷と呼ばれる小高い小平地に行宮を興して本営としました。 この地は高燥にして、眺望良く、朝鮮式土器も出土しています。乱後行基が行宮廃材で南方六坊を建てたという、ここ別通称寺社屋敷が、行宮跡地と伝えられています。 関ヶ原町 ————————————————————— とあり 現在は荒れた状態ですが、歴史好きの私にとっては整備し魅力的な史跡にしても...
Read more吉野宮(奈良県南部)を出発して4日後、大海人皇子はここに行宮(あんぐう・かりのみや...
Read more桃配山にほど近い見晴らしの良い丘にあります。現在は草に覆われていますが、僅かな石垣が当時を偲ばせるものとして残っています。 壬申の乱で大海人皇子は672年6月に行宮に入り、関の藤川(現在の藤古川)の右側に陣取っている大友皇子と戦いました。 大海人皇子は全軍の指揮を長子の高市皇子に任せ、自身は此、野上を動かずに近江からの戦勝の報告を受けたといわれています。 大海人皇子が野上行宮に入られる前は、この土地の長者が屋敷として使...
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