1600年...
Read more関ケ原の戦いにおいて西軍の最右翼となった小早川秀秋の陣跡です。標高約290m、ふもとからの比肩は約200mとなります。ふもとの駐車場から山頂陣跡までは緩やかで整備された登山道が続きます。歩いて往復1時間ちょっとというところでしょうか? 山頂は関が原合戦の主戦場となった平野部からかなり離れています。小早川秀秋の戦意の無さが見て取れます。 山頂からは関が原が一望できます。伊吹山もきれいに望めます。 小早川秀秋は備前岡山37万石の太守で関が原には1万5千人の大軍を擁し参戦しました。松尾山の山頂にはそれだけの人数を収容できるスペースがないので、恐らく山の中腹に分散して陣を構えたのではないかと推測されます。合戦中に下から見上げると両軍を眼下に見下ろすような陣構えであったと思われます。 関ケ原の合戦は途中まで両軍互角でしたが、小早川軍の寝返りにより勝敗が決せられました。最も、小早川軍の寝返りが無くても、東軍の後方には徳川家康軍本体3万騎がいたので、最終的な結果は変わらなかったでしょうが。いずれにしても東軍は小早川秀秋の寝返りにより、本体が無傷のまま戦を終えることが出来たのでその功...
Read more猛ダッシュで松尾山を登る事、約20分前後(平均40分程だそうです)頂上にあるのが『松尾山城跡』 この頂上からは関ケ原全体(全ての陣)が見渡せ、ここから小早川秀秋(金吾中納言)が戦場を見渡していたとされます。 1万5,000の軍勢を率い『伊藤盛正』を追い出して入城したとされる。 しかし秀秋の逸話は謎が多く、史実も解釈も増えている事から『裏切り・寝返り』というのはいよいよ考え難いものにもなっている。 まず、これだけ大きい合戦の舞台に布陣していながらも、この標高もある城跡に布陣する事が果たしてどうかという事。 自分はこの松尾山から関ケ原を全体見下ろした時に今まで書かれた史実に違和感を覚えました。 ぜひ皆さんも秀秋の気持ちを考えながら関ケ原を見渡し、今一度傍観していた意味を考えてみてください。 そして秀秋の経歴を深く調べてみてください。 その時、今までとは違った考えが思い浮かぶかも知れません。
※大谷吉継陣跡や脇坂安治陣跡など、寝返りの際に乗じた『脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保』の経緯、そして『奥平貞治』も知...
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