戸沢氏、佐竹氏史跡。 小松山城ともいう。 2019年7月14日来訪。
戸沢氏は、平維盛の血筋で、その子衡盛が木曾義仲に属していたところ、その不義を憎み、奥州磐手郡滴石庄(雫石町)に下向、源頼朝の下で活躍し、雫石に土地を与えられ御家人となり、地名から戸沢氏を名乗ったのが始まり。「衡」の字から、奥州藤原氏から偏諱を受けた郎党という説もある。 南部氏に雫石を追われ、戸沢氏は門屋城を拠点としていたが、1424年、戸沢氏配下の角館氏が小野寺氏に通じたため、戸沢家盛がこれを討って角館城に居城を移した。 戸沢氏と言えば、「鬼九郎」「夜叉九郎」の異名を持つ、戸沢氏18代当主盛安です。 1578年、病弱な兄盛重に代わり13歳で家督を継ぐと、1582年、大曲に進出、小野寺氏と敵対し、安東愛季とも戦ってこれを破る。北浦郡を平定し、さらに小野寺氏の支配域の上浦沼館城に進出、この戦いで盛安は敵将の小清水蔵人を両断したという。1587年4月には、戸沢氏と小野寺氏の不和につけ込み、安東愛季が仙北に侵入したが、戸沢盛安は唐松野で戦い、3日に及ぶ激戦の末、安東氏を破った。愛季は、同年秋にも、仙北に進出し、唐松野付近で合戦に至ったが、愛季が陣没(病死)した為、仙北郡北部に戸沢氏の支配を確立した。安東愛季没後に起こった安東氏の内戦、湊合戦では、湊通季を支持し、秋田実季と戦った。 1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣、中村一氏の幕下に入れられ、4万4,000石を安堵されたが、小田原城落城前に病死した。墓所は小田原の海蔵寺とあるが、同所で病没した堀秀政のお墓は見つけたものの、戸沢盛安のお墓は見当たらず。だれかわかる人いたら教えてください。 盛安の死後、盛安の意向の通り、弟光盛が跡を継ぐが、1992年に急死、その為、盛安の子政盛が跡を継ぎ、関ケ原の戦いで東軍に与するも、秋田氏の勢力が拡大することを恐れ、消極的な行動に終始し、戸沢氏は常陸に転封となった。
同じく関ケ原の戦いで消極的な動きで秋田に転封となった佐竹氏は、蘆名義勝に角館1万6,000石を与えた。この蘆名義勝も数奇な運命を背負った人物である。義広という名前の方が通りが良いと思うので、義広として説明します。 義広は、1575年、佐竹義重の次男として生まれ、4歳で白河義親の養子となり、白河氏の当主となった。ところが蘆名氏第18代当主盛隆が家臣に殺害されてしまい、僅か生後1ヶ月で亀王丸が家督を継いだが、さらに亀王丸が夭逝してしまった為、1587年、12歳の義広は蘆名盛隆の養女と結婚し、蘆名氏の当主となった。折しも、佐竹義重は、婚姻、養子縁組等を駆使して南奥州に佐竹氏を中心とする同盟圏を構築し、伊達氏と対抗しているところであり、義広が蘆名氏を継ぐまでに、蘆名氏の家臣は、伊達氏から養子を迎えるか、佐竹氏から養子を迎えるか、真っ二つに割れていた為、蘆名氏という南奥州の一大勢力を伊達氏に抑えられる訳にはいかなかったのである。義広が婿入りすると、伊達派の宿老は粛清され、また伊達氏の調略を受けて離反したりで、1589年の摺上原の戦いにおいて、家臣の統制が効かない蘆名氏は、宿老金上盛備や蘆名四天王の佐瀬種常等が戦死する等して大敗、義広とその近臣は戦場を逃れるも、黒川城を守備する兵力もなく、佐竹氏の常陸に逃れ、その結果蘆名氏は伊達氏により滅亡した。14歳の義広にはどうする事もできなかったでしょう。 しかし、豊臣秀吉が1587年12月に発令した惣無事令に、この戦いが違反したとして、蘆名領は伊達氏から取り上げられ、蒲生氏郷に与えられた。代わりに蘆名氏には、佐竹氏の与力として常陸龍ヶ崎、江戸崎の領地を与えられ、大名として蘆名氏は復興した。しかし、関ケ原の戦いで、佐竹氏に連座し所領を没収された。 秋田に配された佐竹氏に従い、角館を与えられた義広は、名を義勝と改め、河川の氾濫、火災を避けるため、古城山の南に新たに町割を行い、城下を移し、今日の角館城下町の礎を築いた。また、会津若松の蘆名氏の菩提寺である天寧寺を本寺とし、その山号、寺号をそのまま譲り受け、1624年、蘆名義勝を開基とし天寧寺を創建した。 角館城自体は、一国一城令により廃城。義勝は1631年に亡くなると、その死後4ヶ月後に生まれた盛俊が蘆名氏を継ぐが20歳で亡くなり、1653年、さらにその子、千鶴丸も天寧寺参詣の折の転落事故で、3歳で夭逝し、蘆名氏は断絶した。以後、角館は、佐竹氏北家が入部し、この地を治めた。
今はどうかわかりませんが、当時は車止めがあるところので車で途中まで上る事ができ、そこから徒歩で舗装路を進んで登っていくと、本丸に突き当たる。結構広い。眼下に角館市の眺望を楽しむことができる。帰りは階段があるので、そこを降りると早い。 戸沢盛安や蘆名義広に思いを馳せながら、帰りは角館の町をぶら...
Read moreA hidden spot with a fantastic overlook of the city, I'm surprised there aren't more reviews! It's a somewhat steep but short (15-20 min.) hike up for some gorgeous views of Kakunodate. There honestly isn't much to see in terms of the castle remains, but the views are fantastic and well worth the climb, even in autumn.
Note: The signage is a bit confusing; The entrance to the walking trail is on your right, after you pass the shrine but before you actually reach the map/sign. Just keep an eye out for stairs...
Read moreA bit ambitious to call it castle remains, couldn't find anything that would qualify as such. However, the little walk up the hill through the forest is pleasant and the view over the town quite pretty. On a sunny Monday morning there was nobody else there,...
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