竪穴を掘りその土で周りに堤が築かれているところから周堤墓と呼ばれています。 縄文時代後期の一時期に作られた墳墓群で、それまでは住居と墓所を区分する風習が無かった北海道で出土した土器などからも東北地方の影響が見られます。しかしこの周堤墓は北海道でのみ確認されている埋葬形式です。 史跡名勝天然記念物に指定されている千歳市の「キウス周堤墓群...
Read more6月末頃の夕方に訪問。 斜里町中心街から知床半島へ向かう途中に大きな「朱円ストーンサークル」看板を見つけて興味を持ち、引き返して寄りました。 自動車を駐車できる場所が案内板前の未舗装広場しかありません。 未舗装広場とは言え、自動車をギリギリに2台駐めると出入口が塞がるほどの狭さです。 案内板を過ぎて、2〜3分歩くと1つ目のA号環状土籬が現れます。凹凸のある窪地に環壕と石が配置されてるだけに見えます。よく見渡すと規則性のある並び方と解り、これがストーンサークルと呼ばれてるのでしょう。 さらに1〜2分歩くと2つ目のB号環状土籬を見つけられます。林道は整備されており、迷...
Read more大型の竪穴の周囲に土を円形に積み上げた集団墓地で、縄文時代後期の遺跡だそうです。 宗谷海峡は比較的狭く、また最深部は60mほどしかないので氷河期には海面が下がってユーラシア大陸と地続きでした。そのころ人類はシベリアからマンモスなどの大型哺乳動物を追って宗谷海峡を南下し、北海道に住み着いたと言われています。 一方津軽海峡は水深が深いので、氷河期の海面低下によって陸続きになったかどうかは議論のあるところです。 しかしここの出土品からは東北地方との交流が示唆されており、徒歩か舟かは別として、津軽海峡を渡ってここまで来た人々が居...
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