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ここは、知る人ぞ知る“浜松の伊勢神宮”。
御祭神は、あの天岩戸神話でもおなじみの日本最高神・天照皇大御神/アマテラスオオミカミ です
「惣社/ソウジャ」という名の通り、かつて地域の複数の神社をまとめて祀ってきた歴史があり、境内を散策すると小さな摂社たちが“ご近所会議”のように並んでいます
創建の由来ですが、境内の由緒書きによると、昔この地を治めていた濵名縣主/ハマナアガタヌシ が、自らのご先祖である太田命/オオタノミコトを祀ったのが始まりと伝わります
この太田命という神さま、実は天照を祀る場所を探し求めていた倭姫命/ヤマトヒメ...
Read more濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)。静岡県浜松市浜名区三ケ日町三ケ日。
式内社(小)英多神社(エタノ)の論社、旧郷社。
主祭神:天照皇大御神
資料によると、 創始年代は不詳。
式内・英多神社の論社。 元は、浜名県主(あがたぬし)が、その祖神・太田命を祀ったもの。 現在、太田命は境内摂社に祀られている。
県主は、美和氏の系統らしく、太田命は、大田々根子命のことらしい。 鎮座地名が、大輪山というのも、三輪山と関係する。
朱雀天皇天慶三年(940)八月、太宰官符を以って、伊勢皇大神宮に平将門追討御祈の報賽として、 遠江国に神戸が寄進され、当地も伊勢神領となったため、神明宮と変化し、現在の祭神と成ったという。
本殿は、井籠造神倉で、浜名神戸の貢物を保管する倉であった。
創立は詳らかではないが、口碑によると垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神の神勅によって三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て鎮座の地を定めよとの思召しによって太田命の先導で船にてこの地に行幸になり四十余日御行宮の後、更に神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。 とあります。
参考として、 式内社・英多(エタノ)神社について調べて見たが、特にこれと言ったものがなく、これを「英多(あがた)」と読んだ時、当社の由緒の「元は、浜名県主(あがたぬし)がその祖神・太田命を祀ったもの。」と言うところの「県」に関係...
Read more今回初めて参拝したが、こんな立派な神社がこの地にあったと驚く。 どおりで延喜式内社でもあり、境内には伊勢神宮で使用されていた古材の柱や今上天皇が幼少の頃訪れ植樹された木があったりと、皇室との関わりの深さを感じる。
ちなみに「神明社」といえば伊勢神宮から天照大神を分霊したものである。 もともとは浜名県主(はまなあがたぬし)の祖・オオタタネコ(大田田根子・意富多多泥古)命を祀り、延喜式神名帳の「英多神社(あがたじんじゃ)」と比定される。
なぜ当初オオタタネコ命を祀ったというと、垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が大和の笠縫邑より天照大神の御霊を鎮座する地を求め、伊賀、伊勢、美濃、尾張を経て当地に40余日滞在した後に、御神託を受け伊勢国に向かわれた。 その時先導したのが、大田命であり、その祖であるオオタタネコ命を祀ったのが始まりとされる。
ちなみにオオタネコ命は大和(奈良)大神神社(おおみわじんじゃ)の神主となり大物主命の子孫である。
今でも三ヶ日付近出身者に「縣(あがた)」という苗字が多いのも、浜名県主の子孫であり、大物主命の子孫でもあるということか?
その後、朱雀天皇天慶3年(940年)遠江国の神戸(かんべ)が寄進され、伊勢神領となったため、神明宮と変遷し現在の主祭神となったとされる。
本殿は伊勢神宮ヘの貢進品の収納庫として使われたと言われ、板倉造(井籠造)という古い建築様式で国指定...
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