A temple with a solemn atmosphere located deep in the mountains. A black and white horse was enjoying a meal. Unfortunately, I wasn't able to go up to the main hall on the day I visited. However, it seems that if you time it right, you can visit the main hall. I recommend checking social media...
Read more丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)。奈良県吉野郡下市町長谷(ながたに)。
式内社(名神大)、二十二社(下八社)の論社。旧社格は官幣大社。 社名は川上村の丹生川上神社上社に対するものである。
主祭神:闇龗神 (くらおかみのかみ) 以前は高龗神であったが、大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。なお、祭神は「丹生大明神」で、丹生都比売神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)の祭神である丹生都比売神のことであるとする説もある。
資料によると、 上古の由緒は不詳で、土地の古老の伝えに、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが創祀であるというが、当神社背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と思しき矩形の石群があること、また、社前を流れる丹生川流域には丹生神社が点在すること、かつては付近に、御酒井・五色井・吹分井・御食井・祈願井・御手洗井・罔象女井・降臨井・鍛人井といった多くの井戸が湧出していたことなどから、古くからの水神信仰があった可能性もある(丹生川上神社上社、縄文時代要参照)。
明治5年(1872年)までは、「公文所」や「社人」と称する世襲神職(社家)があった。社記によると、その起源は文明年間(1469-87年)に遡ると伝えるが、近世においては橋本・乾・河(川)合・中井・向井・今西の6家(本姓が川上のため「川上六家」と称された)が奉仕してきた。官制時代に社職を離れたが、子孫の家はその後も「神事係」として当神社に関わっている。
神馬 -...
Read more御神徳 万物生成化育の根源たる、水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物象の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い守護あらせられる。御例祭 6月の1日(秋の大祭は10月14日)御社格 延喜式の名神大社、元官幣大社。御本殿 総桧の流れ造り、屋根銅板葺きで建坪7.31坪。御神域 約5千坪樹令五百年の老杉をはじめ、槻、樫、椎等の巨樹を以て覆われ森厳そのもので身心共に浄まる。由緒沿革の概要 御祭神は、いざなぎ、いざなみの大神のみ子神であらせられ、天武天皇の白鳳四年に「人聲ノ聞エザル深山ニ吾ガ宮柱ヲ立テテ敬祀セバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霖雨を止メム」との御神誨に因り創立された古社であるから、歴朝の御尊崇極めて篤く、續日本紀に「天平宝字7年5月夷午丹生川上ノ神ニハ帛幣(へいはく)ノ外特ニ黒毛ノ馬ヲ奉ル」と見え、この後は祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を幣帛に添えて献ずることを恒例と遊ばされて居り、醍醐天皇の延喜の制では名神(ミョウジン)大社として案上の官幣に預かり、ついで二十二社の一(全国の大社中の特別尊貴な神社)に列し給い明治の新政に及ぶ。また別に神階正一位に進ませられ、爾後たびたびの奉幣をお続けになり、孝明天皇は安政元年に「外患恨服、国家清平」の御祈祷を仰せつけられ(御綸旨現存)文久2年には晨くも銀20枚、米30石を御下賜相成り(御沙汰書現存)続いて明治天皇もその四年に官幣大社に御治定仰せ出だされ、初代大宮司に松岡尚嘉を小宮司に江藤正澄を補佐せられて以来昭和21年までお使いとして高官を参向せしめて、大祭、臨時大祭を厳重に斎行されて来たが、その後神社制度の変革に依り宗教法人の神社と...
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