中山忠光朝臣命は、弘化2年4月13日従一位大勲位中山忠能の5男に生まれ、明治天皇の御生母中山一位局は姉君であり、従って忠光朝臣命は明治天皇の叔父にあたる。忠光朝臣命は忠誠の気節に富み、皇室の式徴を歎き式門の専横を憤ること一層鮮烈であった。文久3年8月天誅組の主将として大和義挙により明治維新偉業の端緒をつくられたが、幕府軍の為に敗走して下関に足を止め、勤皇の志士と交わり大いに活躍中、元治元年11月8日夜豊北町田耕字長瀬に於て...
Read more下関市綾羅木本町にある 中山神社 。 (自身が子供のころ6年間剣道でお世話になりました)
幕末の尊王攘夷運動に関わった公卿・中山忠光を祭神とする神社です。 忠光は元治元年(1864年)に暗殺され、翌1865年に彼の墳墓があるこの地に豊浦藩が社殿を建立して「中山社」として創設されました。 境内にはその墳墓(国の史跡)があり、明治天皇・天照大神も併せて祀られています。 
場所は、山口県下関市綾羅木本町七丁目10-8。 最寄り駅は JR綾羅木駅、徒歩20分程度です。 
周辺観光としては、境内の「愛新覚羅社」があり、清朝最後の皇帝・溥儀の弟・溥傑とその妻などを祀っており、日中の歴史を感じさせます。 ...
Read more1865年に中山忠光卿₍1845-1864₎をお祀りするために創建されたお宮です。当時この辺りは静かな砂浜で、南北に砂丘が伸びていたそうです。忠光卿は幕末の尊王攘夷派の公家様で、1863年に天忠組を立ち上げて決起しましたが、幕府軍に制圧され、長州長府藩に匿われていました。しかし、長州藩内の俗論派が差し向けた刺客に討たれ、豊北町田耕の山中で亡くなり、亡骸が綾羅木のこの地まで運ばれ、埋められたそうです。当初社殿は現在の国道191号線の近くに建てられていたそうですが、道路工事に伴い、1928年にお墓に近い現在地に移転したそうです。自然の豊かな境内は清々しい空気が流れ、宝物館では忠光卿ゆかりの品を見ることができます。またポケモンgoのレアス...
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