梅雨前の、真夏日になった日 ...
Read more東行庵は正式名称「清水山東行庵」と言い、同じ下関市内長府にある古刹、功山寺の末寺になる曹洞宗の寺です。開山は山縣有朋がこの地に「無鄰菴」という草庵を建てた事に始まる。 28才7ヶ月で早逝した高杉晋作(号を東行という)は奇兵隊の本拠に近い、この地に葬られ以後、東行庵となる。 晋作の愛人おうのは晋作の死後出家し、山縣はおうのに「無鄰菴」を譲り、1909年に亡くなるまで晋作を弔ったという。 晋作(東行)の没後100年にあたる1966年に記念事業として、庵の大修理が行われ、東行記念館が庵の隣に建てられ今に至る。またこの後2010年に下関市立東行記念館となった。 東行庵の境内は広く、高杉晋作の墓碑はじめ、おうのの墓碑や山縣有朋顕彰碑等もある。 東行庵自体は内部者非公開で外観のみの見学となる。 資料館は300円/人が必要。 平日の15時過ぎに訪問したので、資料館見学者は私達以外にはおらず、東行池の散策をする 方が数名いるだけであった。 資料館展示資料は高杉晋作の詩集や書簡の展示がメインとなっている。高杉晋作、若しくは維新ファン、奇兵隊ファンの方々じゃないと厳しいと思われる。 東行庵の御朱印は資料館受付にて300円で書置きタイプのものを頂く事が出来る。駐車場は道を挟んで目の前に1...
Read more高杉晋作(東行)の菩提寺で、功山寺末寺です。
初代住職が晋作を最後まで看取った愛妾のおうのさんと言うことで、高杉晋作とおうのさんのお墓があります。
奇兵隊には若い隊員が多かった為、家系が早々に途絶えた人も多く墓も荒れてしまうことが多かったそうで、全国からこちらに墓所を移しているそうです。
全国にあったのは、戊辰戦争で奇兵隊が長岡、会津藩、庄内藩制圧戦まで関わっていたからだそうですね。
会津と長州の歴史と言えば奇兵隊と白虎隊の歴史というわけなので、黒船襲来、長州征伐の頃からその辺り迄の関係者が眠ってると思うと感慨深いです。
境内は広く、庭園エリアと墓地エリアに分かれています。 御朱印は東行記念館入口入って受付の所で貰えます。(書置きのみの対応になります) 記念館は入場料300円で1階に本堂、2階に展示記念館があります。 展示室内エリアは撮影不可なのでご注意ください。
晋作が奇兵隊決起の時に被った兜や書物があり自分で書いた自画像などはいかにも晋作っぽいイラストでとても面白いです。
ちなみに ‘’おもしろき ことの亡き世に おもしろく‘’ が正しいそうです。‘’ことの亡き世を‘’じゃないんですね😅
安倍晋三元首相の名が刻まれた高杉晋作...
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