長篠・設楽原の合戦の資料が数多く貯蔵されている資料館です。
ちなみに歴史の教科書では武田軍と織田、徳川連合軍の戦いを「長篠の戦い」と掲載されることが多いですが、火縄銃が初めて使われた合戦は設楽原で起きています。
この地域の方に「長篠の戦い」と話すと「長篠・設楽原の合戦だね」と訂正されます。 設楽原には歴史に思い入れの強い方が多いです。
火縄銃は数多く展示されているのですが、合戦で使われた鉛玉はあまり発掘されていないそうです。
この資料館の解説によると、当時鉛は大変貴重で、国内だけでは手配できず、東南アジアからも輸入していたようで、合戦の後で回収したのではないか、とのこと。
そのほか長篠・設楽原の合戦について、 「効果的な陣形を崩さずに鉄砲隊を活用するよう馬防柵は構成されていること」、 「鉄砲の砲身の後ろを塞ぐために日本にネジの技術が伝えられたこと」、 など、興味深い情報を得ることができました。
戦国時代の歴史に興味を持っている方には是非、おすすめしたい資料館です。
因みに投稿した写真は館内に掲載されていた蛍のイベ...
Read more織田・徳川軍と武田軍が睨みあった連吾川の東側(つまり武田軍の勢力下)の比高30メートルの小高い丘の上に位置します。 合戦当時は、ここの丘にも武田軍の陣幕があったとされます。
自分的に設楽原の戦は、戦国三大ターニングポイント合戦(残りは桶狭間と関ヶ原、川中島は小競り合いなので選外)であり、中学生の歴史の教科書にも太字で記載(つまり、試験に頻出)される、超メジャーなバトルフィールドです。 中に入るとさすがというべきか、火縄銃推しがすごい!火薬を用いた最初期の貫通殺傷兵器であり、近代破壊兵器の礎です。 火縄銃のサイズや形状はまちまちで、まだ大量生産される前の、産地や職人によって個性があったんでしょうね。
しかし、近辺に武田家の高名な武人の墓碑がそこかしこにあるのに、織田・徳川軍のそれは、磔にされた鳥居強右衛門(それも長篠攻城戦であり、設楽原ではありません)のみといっても過言でありません。 もはやジェノサイドの様相だったのでは(もちろん勝った側からすれば苦戦した、とは公式には残さないようなバイアスがかかっているのでしょ...
Read more2023年8月21日、大河ドラマどうする家康第22話設楽原の戦い史跡めぐりの一環で訪れました。
岡崎大河ドラマ館の年間パスポートや半券を提示すると観覧料が安くなります。(期限は2024年1月8日まで)
展示物は設楽原歴史資料館所蔵のものが多く、見ごたえがあります。私が気になったのは2つ。
①織田軍と徳川軍が築いた馬防柵の違いの表示・・・織田軍の馬防柵は「」のカタチ、徳川軍は|のカタチです、とミニチュア馬防柵が展示されていますが、それがどんな効果があるのかまでは記載されおらず、知りたい衝動に駆られます。どなたかご存知の方は教えてください!
②武田軍が敗北している様を描いた浮世絵・・・糾弾が描く直線がズキューンな感じで描かれていて漫画みたい。浮世絵って面白いですね。
撮影OK箇所が多いので、非常...
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