旧遠山家住宅は、白川村御母衣(みぼろ)の静かな山里に佇む巨大な合掌造り民家だ。世界遺産に指定された有名な荻町地区からは少し離れた場所にあるため、あまり知られていないが、実は白川郷の合掌造り民家の中でも最大級の規模を誇り、堂々たる迫力を感じさせてくれる。
旧遠山家住宅の建築は文政10年(1827年)頃とされていて、能登地方から招いた大工たちの手によって建てられたと伝わっている。ただ、一部の資料には文化10年(1813年)頃という記録も残されていて、このあたりの年代には若干の揺れもあるようだ。
建物は一重四階の切妻造茅葺屋根で、桁行22.0メートル、梁間13.3メートルという堂々たる大きさを誇っている。屋根の迫力はもちろん、室内に足を踏み入れると、黒光りした巨大な梁や柱が目を引き、昔ながらの山村の暮らしを力強く物語っている。
内部の構造はとても合理的で、1階部分は家族が日々暮らした居住空間と広々とした土間が設けられている。2階と3階には養蚕用のスペースが広がり、最上階の4階は物置として使われていた。明治20年頃までは、火薬の原料である塩硝の製造も床下で行われていて、この家が地域の産業を支える重要な役割を果たしていたことがよくわかる。
かつてこの住宅を構えた遠山家は、江戸時代からこの地域の名主を務めた名家であり、塩硝や養蚕業を取り仕切っていた。「上煮屋」という塩硝製造の家柄を世襲し、生糸の取引でも活躍した。その繁栄ぶりを象徴するように、明治末期から大正初期にはなんと40人近い大家族がこの家で共同生活を送っていた。1920年(大正9年)の国勢調査でも、実に31人もの家族がこのひとつ屋根の下で暮らしていたというから驚かされる。
こうした大家族制の研究のために、民俗学者の柳田國男や建築家ブルーノ・タウトもこの家を訪れている。特にタウトは、ここを訪問した経験を基に合掌造りの素晴らしさを広く紹介し、旧遠山家住宅は日本の民俗建築を世界に知らせる大きな役割を果たした。
その歴史的・建築的価値が認められ、1971年(昭和46年)12月28日には国の重要文化財に指定された。ただし、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の指定エリアには入っていないため、知名度としては控えめな位置付けになっている。
旧遠山家住宅は2014年に老朽化のため一時閉館し、大規模な修理・補強工事が行われた。その後2016年7月に「旧遠山家民俗館」として再び公開され、現在では、江戸から昭和に至るまでの民具や農具、生活道具の展示も充実していて、かつての暮らしぶりをじっくりと見ることができる。また、地元産の古代米や山菜、豆腐などを使った郷土料理を味わえる体験プランもあり、観光客に人気を集めている。
御母衣地区には、旧遠山家住宅のほかにも、白川村全体の歴史や生活文化を感じられるスポットが点在している。世界遺産登録エリアである荻町地区にある和田家住宅も重要文化財に指定されていて、白川郷の暮らしや産業を学べる資料が豊富に揃っている。また、旧遠山家住宅から程近くには、1970年に完成した御母衣ダム(みぼろダム)があり、ダムの歴史や役割を詳しく解説する御母衣電力館という施設も併設されているため、興味がある方はこちらもおすすめだ。
旧遠山家住宅は、荻町地区のような有名な観光地ではないが、白川郷の歴史や文化をより深く味わいたい人には最高の場所だと思う。巨大な屋根の下に流れていた大家族の暮らしぶりや、養蚕や塩硝製造といった当時の産業の面影をじっくりと感じることができる貴重な史跡なので、じっくり時間を取っ...
Read moreThis was a grand experience. From the winding snowy roads following the river is a majestic drive. You don't need to pay money to enter the village but it's 1000 yen to park. It's just amazing the small village nestled away in the mountains surrounded by snow. This seems to be a popular spot for tourists though so thetr are a lot of people and tourist buses, but i assure you it's...
Read moreこの住宅は国の重要文化財ですが、白川郷、五箇山の世界遺産には入っていませんが、合掌造りが世にでるきっかけになった住宅地です。場所は白川郷から車で20分ぐらいの所でポツンと合掌造りがあります。 見ておくべき合掌造りだと思います。
旧遠山家の家屋は建築年代が文政10年(1827)頃で、能登の大工によって建てられたもので、その後一度改築されたものの、今もなお屋内は黒光りし、外観もどっしりとした威容を誇っています。 住宅は4階建て合掌造りで、1階部分は居住、2階から上でカイコを行っていました。床下では火薬の原料となる焔硝つくりが明治中期まで行われていました。 建物の大きさは、白川郷・五箇山の合掌造り集落の和田家住宅より大きく、往時には数十人の人が住んでいたといいます。(カイコのため一族みんなで住んでいた様です)
この建物は大家族や建物の研究対象となり、かつてはドイツの建築家ブルーノ▪タウトなど数々の著名人が訪れ、合掌造りを世間に知らしめるき...
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