田峯観音高勝寺 (だみねかんのんこうしょうじ)
宗 派 曹洞宗 山 号 谷高山 寺 号 高勝寺 創建年 文明2年(1470年) 開 基 菅沼定信(田峯菅沼氏) 御本尊 十二面観世音菩薩 合 祀 松芽観世音菩薩
札 所 •三河三観音 一番札所 •奥三河七観音 4番寺
文化財 •田峯田楽「国指定重要無形民族文化財」 •田峯田楽の舞台「愛知県指定有形文化財」 •田峯観音の梵鐘「設楽町指定有形民族文化財」 •絵馬「設楽町指定有形民族文化財」 •制札「設楽町指定有形民族文化財」 •田楽大太鼓「設楽町指定有形民族文化財」
訪問日 2024/9/20
文明2年(1470年)に田峯城初代城主•菅沼定信が城の守護神として京都より勧請した「十二面観世音菩薩」を本尊として開山された寺院である。
宗派は、よくわからないが曹洞宗系統の単立寺院か?「単立とは」(包括宗教団体に属さない寺院や神社のこと) かつては、村営の寺院だった様なので。
合祀される「松芽観世音菩薩」は慶雲2年(705年)の作と云われる。
国の重要無形民族文化財である「田峯田楽」(田峯観音奉納歌舞伎)は、永禄2年(1559年)田峯城主の菅沼定忠が南設楽郡大輪村の薬師堂から移し、この年の大祭から取り入れた。
正保元年(1644年)に田峯地区の日光寺が焼失し、再建のため段戸山の御料林を誤って伐採してしまった。これにより、代官に盗材の疑いをかけられた為、田峯観音に歌舞伎を奉納して願掛けした。 代官が、御料林検分する日は6月にもかかわらず雪が降り、切り株が覆い隠され村人は盗材の重罪を免れたという。
これ以後、田峯観音大祭では戦時中も休むことなく奉納歌舞伎が続けられている。
明治期の廃仏毀釈で廃寺になるが、日光寺の境外仏堂である「大悲閣高山観音堂」として管理された。
昭和17年(1942年)には、宗教団体法の発布によって独立し、当時の北設楽郡段嶺村の村営(檀信徒総代によ...
Read more田峯の村人を盗伐から救った観音様のあるお寺
駐車場には物産展とカフェ(カフェは土日祝のみオープン)があり、手前の茶畑と少し先の田峯城、その先の山々の景色を眺めながら軽食やお茶が楽しめます
ここのローカルフード「五平餅」と地元産のお茶田峯茶を使った紅茶をいただきました
五平餅や、その他の軽食は少し待つので、時間に余裕を持って行きましょう
ここまでの道中は、幅員減少やそもそも狭い道が多いです(所謂、峠道みたいな?) LEXUS...
Read more近くまで来たので、高台からの眺望がよいとMAPで見たので行きました!
階段はそんなにたくさんなかったのですが、普段の運動不足か、少し息切れしながら上まで上がりました。 とても眺めが良かったです。 40円、お賽銭箱に入れてお線香をたきました。 隈無く見て、写真を撮って、階段を下り、下の売店で、五平餅をいただきました。食べてるときも、茶畑が見える眺めの良い場所で、寛ぐ事が出来ました。
あ、私の撮った写真、どう思いますか? 駐車場から撮った写真、雲が「虎」または「獅子」に見えたりしませんか? 鼻も目も唇も歯も、私にはくっきり見えるのですが💧 そして、上で撮った写真も!! 雲が「鷲」に見えませんか? 考えすぎかもしれませんが、こんな経験初めてで、怖い気もするんですが、『怖い...
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