鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた、日本の古代山城(神籠石式山城)である。城跡は国の史跡「鬼城山」(1986年(昭和61年)3月25日指定)の指定範囲に包含される。
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷は倭(日本)の防衛のために、対馬~畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いている。鬼ノ城は史書に記載が無く、築城年は不明であるが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている。
鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に所在する。すり鉢を伏せた形の山容の7〜9合目の外周を、石塁・土塁による城壁が鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡る。城壁で囲まれた城内の面積は、約30ヘクタールである。城壁は土塁が主体で、城門4か所・角楼・水門6か所などで構成される。そして、城壁を保護するための敷石の発見は、国内初のことであった。城内では、礎石建物跡7棟・掘立柱建物跡1棟・溜井・烽火場・鍛冶遺構などが確認されている。鬼ノ城は、山城に必要な設備がほぼ備わり、未完成の山城が多い中で稀な完成した古代山城とされている。
鬼ノ城は、「歴史と自然の野外博物館」の基本理念に基づき、西門と角楼や土塁が復元された[9]。その他、城門・水門・礎石建物跡・展望所・見学路などの整備とともに、「鬼城山ビジターセンター」と駐車場を整え、「史跡・自然公園」として一般公開されている。
城壁は、幅7m×高さ6〜7mの版築土塁が全体の8割強を占める。しかし、城壁最下の内外に1.5m幅の敷石が敷設されており、石城の趣が強い。そして、防御正面の2か所の張り出しは、石垣で築かれている。流水による城壁の崩壊を防止するための水門が、防御正面に集中する。城壁下部の2〜3mに石垣を築いて水口を設け、通水溝の上部を土塁で固めた水門が4か所ある。他の2か所は、石垣の間を自然通水させる浸透式の水門である。また、水門の城内側の2か所の谷筋で、土手状遺構が発掘された。土石流や流水から城壁を守るためと、水を確保するための構築物である。そして、第0水門の城壁下部で、マス状の石囲の浅い貯水池が発掘され、多くの木製品が出土した。
城門は、防御正面に東門・南門・西門、防御背面に北門の4ヵ所が開く。主の進入路と思われる場所に西門があり、西門の北側約60メートルの隅かどに角楼がある。各々の城門は、門礎を添わせた掘立柱で、門道は石敷きである。西門は平門構造で、他の門は懸門構造である。東門は間口1間×奥行2間で6本の丸柱構造。南門は間口3間×奥行2間で12本の角柱構造。中央の1間が出入り口で、本柱は一辺が58cm角である。西門は南門と同じ柱配列で、本柱は一辺が60cm角である。そして、門道の奥に4本柱の目隠し塀がある。北門は間口1間×奥行3間の8本の柱構造。本柱は一辺が55cmの角柱で、他は丸柱である。そして、門道に排水溝が埋設されている。また、西門周辺と角楼に至る土塁上面の柱穴の並びは、板塀のための柱跡とされている。
城内の中心部には、食糧貯蔵の高床倉庫と思われる礎石総柱建物跡5棟、管理棟と思われる礎石側柱建物跡2棟が発掘された。また、12基の鍛冶炉の発掘は、鉄器製作の鍛冶工房とされ、羽口・鉄滓・釘・槍鉋・砥石などが出土する。他の出土遺物は、須恵器の円面硯・甕・壺・食器類に加え、土師器の製塩土器・椀・皿などがある。
鬼ノ城の南麓の低丘陵が南北から突出して狭くなった田園地帯に、水城状遺構がある。版築状の土塁で、長さ約300m×高さ約3m×基底部幅約21mを測り、土塁の上部に人々が集住する。水城と大野城の関係と同様に、城への進入路を遮断した軍事施設とされている。
瀬戸内海は、いにしえから海外交流交易の主海路である。東端の難波津(港)の西方、約180キロメートルに吉備津(港)は位置する。吉備津の西方、約240キロメートルに那大津(港)の博多湾がある。吉備津は、東西航路のほぼ中間点に位置する。鬼ノ城の山麓一帯は、勢威を誇った古代吉備の中心部であり、鬼ノ城は吉備津から約11キロメートルである。
鬼ノ城は、いにしえから吉備津彦命による温羅退治の、伝承地として知られていた。苔むした石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、「キのシロ」と呼んでいた。「キ」は、百済の古語では城を意味し、後に「鬼」の文字をあてたにすぎない。「鬼ノ城」は「シロ」を表す、彼の地と此の地との言葉を重ねた名称である。
礎石建物群の周辺では、仏教に関わる瓦塔・水瓶・器などの遺物が出土している。鬼ノ城の廃城後の飛鳥時代から平安時代にかけて、山岳寺院が営まれている。
鬼城山の山頂では、眼下に総社平野・岡山平野西部・岡山市街が一望できる。児島半島の前方は瀬戸内海、海の向こうの陸は香川県である。坂出市の「讃岐城山城」と高松市の「...
Read moreAM10:08 鬼ノ城 国指定史蹟であり日本百名城の一つ 千数百年前に温羅と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し築城されたとする城 付近の城塁は当時の名残りとも言われている またこの一帯は平安時代に新山・岩屋と共に山上仏教が栄え大規模な伽藍が多数立ち並び西方教化の中心地てあったとも言われている 日本によく見る石垣城ではないがその風格は異質な物を感じる 因みに温羅とは岡山の英雄桃太郎が退治したとされる鬼王 市内には温羅を祀った神社もある AM10:12 鍵岩 学習広場 ココから鬼城山・鬼ノ城の門が見渡せる AM10:19 西門 かなり良好な状態で残っていた西門跡 12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法が正確に解る事が出来た また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っており現在も復元ではなく当時のものを利用 門は資料を元に復元 AM10:25 角楼跡 日本の古代山城では初めて具体的に確認された特殊な施設 最高所の鬼城山・西門と一体となり強固な防御ゾーンを形成されている 現在は第一展望台である AM10:35 礎石建物群跡 城内中央部にある建物を建てていた跡 礎石から七棟の家屋が建てられていたと推測する AM10:41 北門跡 唯一背面側にある城門 基本的な構造は西門等と同じ掘立柱城門で通路床面には大きな石を敷いている 規模的にはやや小型の城門 岩屋へと続く AM10:49 土塁 敵や動物の侵入を防ぐ土を盛上て築いた砦 全長49mあるらしい 近くには何やら祠がある この手の祠、随所に見られる AM10:52 温羅雀邑跡 よく分からんが碑が建っていた 鬼王温羅(うら)を祀ってるんだろう AM10:56 屏風折れの石垣 鬼ノ城でもっとも著名な高石垣 血吸川の急崖上に舌状に構築されており内側列石や敷石が残っている事から建物などは存在しないと考えられている ココの石垣が一番美しい♪ AM11:09 第5水門跡 城壁が谷を渡る六ヶ所では排水の為に築かれた水門 全長10.5m高さ3.2mあり下部は石積み、上部は版築土塁 AM11:16 東門跡 登山道が傍にある保存状態の良い史蹟 特に説明はなかったがビュースポット♪ AM11:17 第4水門跡 全長11.7m、高さ4m 水がまだ流れていた AM11:22 高石垣 東門を望む展望所 磨崖仏があった♪ 内側列石が残る AM11:24 第3水門跡 全長11m、高さ2.8m 近くには敷石が残る AM11:29 南門跡 一辺55cm前後の角柱を12本使用した大規模な掘立柱城門 中央には巨石を敷き詰めた通路と7段からなる階段が良好な状態で残っていた AM11:36 第2水門跡 全長と高さの表示なし… 水も流れていなかった AM11:37 第1水門跡 第2からすぐ ココも表示なし AM11:40 敷石 城壁の下の面に接して板石を多数敷き詰めている 幅は基本的に1.5m 城内側の広い所では5mにもなる所もある 敷石は多くの区間に敷かれており総重量は数千tにもなるとか… この石畳の様な敷石は通路としての役割もあるものの傾斜等みて、元々は雨水等が城壁を壊すのを防ぐ事を目的としたものと推察する この敷石は日本の古代山城ではこの鬼ノ城にしか見られなく朝鮮半島でも数例知られるだけの非常に珍しいものだとか… AM11:55 鬼城山ビジターセンター 鬼ノ城パネル展示 日本百名城のスタンプを捺しに寄っただけ… 此にて鬼ノ城...
Read moreIt's apparently the oldest castle/gatehouse in Japan! It has been rebuilt but if you are disappointed hearing that and dont want to go anymore, don't be! Because the views are breathtaking! If you are thinking of hiking up this steep hill then I recommend going early. I managed to hitchhike from the 500m mark as I was never going to reach the top in time for the last train... You walk through a lovely park too before venturing up the slope and vast rice lands from...
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