16:20頃にお参りしました。
丁度ロウソク立てをおばあさんが掃除され始め、境内には他の参拝者の気配もあり、まだ閉門時間ではないのですが参拝者を気にしておられない様子でした。 どうしようかと迷いましたが「お掃除されているのにすみません。ロウソク立ててもよろしいですか」と確認しました。
はっきりと「いいですよ」とは言われず、これはあくまで私の受け取り方ですが、本当は面倒くさいけどしょうがないな、どうぞ的な反応をされました。
そして「他の札所だと16:00以降は危ないということで立てない所もありますから」と素っ気なく言われ、ん?これは暗に掃除も大変なのにこんな遅い時間に来てという意味なのかなんなのか•••となり「そうなんですね、すみません遅い時間に来て」と答えましたが、返事は無く気まずかったです。
本堂のお参りのあとは大師堂のロウソクも立てる必要があり、またそちらの掃除も始められたので少し待ってからタイミングを見計らい、「すみません、こちらもよろしいですか」とおたずねすると目を合わさず「まぁいいですけど」的な雰囲気の返事だけされました。私たちが次に大師堂にお参りするのは分かっているはずですし、視界にもずっと入っていたのですが。
言葉にトゲがあるという程では無いのですが、こちらが気を使ってしまうような応答で歓迎されていないなと感じる対応でした。 そして私たちの後に優しそうな男性の参拝者が同じく掃除の様子から気を使って「(ロウソクを立てるのは)もうダメですかね」と尋ねられていました。 おばあさんはそれに何か否定的な反応をされており、その男性は遠慮されたのだと思います。 お参り後に振り向き確認したところロウソクは立っていませんでした。
掃除の時間的なものはお寺側の都合もあると思うので文句は全くありません。 しかし境内には私たちの後からもお遍路さんが来られておられましたが、掃除中のお遍路さんへ気遣いの無い行動と応答が残念な気持ちになりました。
私への対応くらいならまだそれ程でしたが、その優しそうな参拝者(たぶんお遍路さん)の方がロウソクを立てられなかった様子にはどうなのかと思うところがあり、...
Read more落ち着いた昔ながらの雰囲気の残っているお寺さんです。
【延光寺の歴史・由来】 土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。 現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されている。
縁起を寺の起源にもどそう。神亀元年に行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。 弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸...
Read more2015/09/16 6:55に駐車場に到着。 駐車場から右に曲がった壁には青い朝顔が幾つも咲いていた。 この朝顔の咲いた塀の角を右に曲がった先が延光寺仁王門がある。 仁王門を潜った右に「梵鐘を乗せた海亀」があった。 第三十九番札所 赤亀山 延光寺(しゃっきざん...
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