「法華寺」の名前をもつ寺院は全国にあり、奈良市法華寺町の「光明皇后(こうみょうこうごう)」(「聖武天皇」后)開基で、国宝「十一面観音」を本尊にいただく総国分尼寺「法華寺」が知られているが、ここ「鷲峰山法華寺(しゅうぶせんほっけじ)」は、JR中央本線「茅野駅」から車で約10分、徒歩では約45分、中央自動車道「諏訪インター」から車で約10分の「諏訪市中洲神宮寺」にある「臨済宗妙心寺派」の寺院だ。はじめ815(弘仁6)年「伝教大師」により開山された「天台宗」の寺院だったが、鎌倉時代中期に「建長寺」の「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう/南宋から渡来した『大覚派』祖の禅僧で諡号は『大覚禅師』)」(1213/建保元年~1278/弘安元年)が招かれて「臨済宗」にあらためられたという。「諏訪大社上社」神宮寺(神仏習合思想により神社に付属して建てられた寺院で「別当」ともいうが、1968/明治元年の「神仏分離令」により分離された。)で七堂伽藍の整った大規模な寺院だったといい、1582(天正10)年3月の「織田信長」軍勢の兵火で「上社本宮」が全て焼失した際も類焼を免れ、「織田信長」自らが「諏訪」入りした際に本陣が置かれ、諸将が集結したという。「本能寺の変」に繋がる「明智光秀」遺恨の場が、ここ「法華寺」だったという説がある。また、「吉良上野介義央(きらこうずのすけよしひさ)」の養嗣子「義周(よしちか/米沢藩主「上杉綱憲」次男で「吉良義央」の孫)」が、「赤穂浪士事件」で領地召し上げのうえ諏訪の地に流されて諏訪藩主お預けとなったが、3年後に享年21で病没するも亡骸の引き取り手がなくここに埋葬されたという。1999(平成11)年、放火により「山門」を残して焼失したが、2005(平成17)年ま...
Read moreIt was a very nice complex. I was able to get a shrine stamp for my shrine book. ✌️😊 The family running the place were so super nice. The daughter can speak English which was neat as I could talk to her. The site is...
Read more諏訪大社の上社の参拝に先立って、Googleで付近を調べて見た所、こちらの臨済宗の法華寺、いろいろと興味深い謂れがあるようで、ぜひ参拝してみることにしました。諏訪大社の上社の東参道を出て、直ぐ近くにあります。
他の方のレビューで紹介されていますが、一つは、忠臣蔵で有名な吉良上野介のお孫さん・吉良義央公の墓があることと、本能寺の変の少し前に、織田信長がここで明智光秀を愚弄し、或いは変の原因となったかも知れない場所とのことです。
吉良義央という方は、僭越ながら私は今回初めて知ったのですが、名門・上杉家の第二子として生を受け、吉良家の後継ぎとなった方だそうです。優秀で、将来を嘱望されていたにも拘わらず、赤穂浪士の件によって罪を背負わされ、ここで幽閉2年余りで逝世されたとのこと。
上記、立札(写真添付)からの引用ですが、赤穂浪士ゆかりの吉良町から、当地の藩主や、当法華寺の和尚の温かい対応に対して、感謝の意が述べられていて、心温まるものも感じました。...
Read more