車(車種:カローラツーリング)で訪問しました。
時間に余裕が無かったので残念ながら建物内には入りませんでしたが、外観の威容がとても素晴らしいので次の機会には是非とも内覧したいと思えるほど迫力のある建物でした。
また、八つ墓村のロケ地を訪れることが出来て感慨も一入でした。
訪問した日は火曜日の午後2時頃でしたが3軒ほどある土産物屋さんや飲食店は全て閉まっていましたので平日に此処で食事休憩するつもりで予定を組むのは現実的ではないと思いました。(週末や祝日は営業しているかもしれませんが)
広兼邸の後に玉島方面に行く用事があったのでナビゲーションに玉島の住所を設定したら、広兼邸前の通りを経由して県道に出るコースが表示されたので「あんなガードレールも無い狭い道なのに大丈夫なんかな?」と怪訝に思いながらもナビの指示通りに広兼邸前の道(普通乗用車がようよう1台通れる道幅しかありません)を進みました。
広兼邸の門前脇にはタクシーが停まっていたのでそのまま進めるのだろうと思い少し安心したのですが、それが大きな間違いでした。(笑)
と申しますのも広兼邸を過ぎて50mほど進むと道が二股に分かれていたのですが、ナビの地図にはその二股路が載っていなかったのでどちらを進むべきか迷ったものの、左側の道は細い上にちょっとキツめの登坂になっていたので、それより道幅が若干広め(本当に僅かに広い程度)で少し下り坂になっている右側の道を40mほど進んだらそこは民家の庭先になっていて行き止まりになっていたのです。(そのまま山を下って行けると考えた私が浅はかでした(笑))
後進するにはあまりにも道幅が狭い上にガードレールも無い急な崖に面しているし、そのまま広兼邸まで100mほどずっとバックで戻るなんてとてもじゃないが怖過ぎてできそうにないので、とにかく何とか転回して来た道を戻ろうと思い、同乗者には降りてもらって車を転回する際の誘導をしてもらい、どうにかこうにか何とかギリギリ転回できて元の道に戻ることが出来ましたが、もし1人だったらと思うとゾッとしました。(転回した場所は民家の軒先で広いところでも幅5mも無い道でしたので何回も切返す羽目になりました(笑))
車はレンタカーのカローラツーリングでしたが、これより大きい車だったらもっと難儀していたと思います・・・。
後日、地元のタクシー会社さんに確認したところ、例の二股を左に進めば広域農道に繋がって玉島方面に抜けられることを教えて頂きましたが、軽自動車ならいざ知らず普通自動車でガードレールも無いあの狭い道を初見で進むのはちょっと気後れしてしまいますしあまり現実的なコースでは無いと思いました。(タクシーの運転手さんや地元の方々なら苦も無いでしょうけど地理に不案内な場合はあのコースは止めた方が良いと思いました)
ナビは取り敢えず通れる道を機械的に選び出してくるので過信してはいけないと思いました。(このあと玉島でも行き止まりになった道路を進むコースが表示されてそのまま突き進んでしまったせいで二進も三進も行かなくなって再びエラい目に遭いましたので良い勉強になりました・・・)
運転に自信のある方なら何とかなるかもしれませんが、広兼邸の正面を通るコースがナビで図示されても個人的にはお勧めできかねますの...
Read moreここはとても満足できました。
『広兼邸』が建っている場所も、建て方もとても個人が住んでたと思えないほどのスケールで驚きでした。
係りの方の説明では、「すぐ下の道路の下にも石垣があった」との事で、「今見えている石垣の高さは半分ほどですよ」と言われさらに驚き! 「専用駐車場」の所までで3~4層の石垣が組まれていたそうで、よく見ると所々にその名残があります。
下手なお城より立派なこの石垣は「家主がここに建造をするため山を削って出てきた岩から石垣材としたので岩の材が同じなので石垣としての外観も美しく見える」と言ってました。 山を削り、石垣を組み、家の土台を完成させるまでにも10年の歳月を要したとか。
広兼家は江戸時代後期に「小泉銅山」と「ベンガラ原料ローハ材」で財を成した庄屋。
私は、。1977年の松竹映画『八つ墓村』 のロケで使われたこの印象的な建造物が (1996年の映画「八つ墓村」でも再度使用、近年では「燃えよ剣」)などの映画で使われていたので存在を知り、是非来てみたかったところでした。
映画『八つ墓村』1977年では楼門までの坂道を、山本陽子、萩原健一、小川真由美が上がっていくシーンが印象的でした。 なかなかの急勾配で上り下りがしんどい所です。
建物もとても大きくベンガラの瓦や、鬼の顔の鬼瓦、水琴窟なども贅を尽くした造りにその財力の凄さを感じます。
建物では、楼門横の下男部屋、番頭部屋はとても見晴らしと風通しがいい場所にあるので自分であればプライベートな部屋で使い方をしたいと思うようなところでした。
1977年の松竹映画『八つ墓村』...
Read more広兼邸は、江戸末期(1,800年頃)の享和、文化の時代に小泉銅山とベンガラの原料であるローハ(硫酸鉄)の製造で巨大な富を築いた庄屋である広兼氏の邸宅で、...
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