風立ちぬ、いざ生きめやも・・・。 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭の一節です。高山社跡が世界遺産になった前年に、アニメ映画「風立ちぬ」が公開され、大ヒットとなりました。 アニメ映画の「風立ちぬ」は堀辰雄の「風立ちぬ」の原作とは少し異なっておりますが、往年の名機、ゼロ戦闘機が物語の中心にありました。 ゼロ戦の主任設計者、堀越二郎は藤岡市の出身です。何か因縁めいたものを感じました。 高山社を知ったのは、小学生の時で、ここが高山社だよと教えられました。高山社の前の道は、七十数年にわたって、始めの頃は徒歩で、又は荷車で、後には車で何度も通りました。しかし、高山社の大きな門はいつも閉ざされていて、入ることも、中を見ることも出来ませんでした。不思議な存在でした。 ただ一度、思い切って、門前の坂道を登り門を叩きました。が、人の気配さえ感じられませんでした。高山詣でをやめて十数年になります。その間に、高山社跡が世界遺産という、夢のような出来事が起きました。
私の知る限り、この十数年前まで、高山社跡は大自然に溶け込んで、ほとんど変化がなかったように思います。三名湖の取水口、ちょっと先にある御霊神社、何より目前の三波川は昔のままでした。
かって、藤岡には、藤山製糸工場という、大きな製糸工場がありました。が、時代の流れで消えて行きました。 戦後、昭和のパイオニア堀越二郎の技術者達は航空機製造の技術を応用して、新幹線の開発に力を注いだと聞いております。 藤岡には、江戸時代に究理法(ニュートンやライプニッツの微分積分法で、一説には世界最初の発見といわれております。)を発見した和算家の関孝和がおります。 明治のパイオニア高山長五郎だったら、コロナに揺れる現代の難局をどうするか、想像するだけでもワクワクしてきます。
私にとっては、高山社跡というと、三波川で沢ガニを捕ったこと、春先の冷たい水の中、泳いだこと、ボヤ(立木の枝を払って薪にしたもの)の買い出しに来て、荷車を喘ぎ喘ぎこいだことなどが想い出されます。 が、世界遺産になって数年、高山社跡には大きな変化があったようです。いつも超然として立っていた門が開かれ、皆を待っているようです。
私は、未だ、高山社跡の大きな門の中には入っていないのです。高山に行く機会が、本当に少なくなりました。早い機会に、七十数年来の夢が実現できたらと願っております。
堀辰雄が引用したポール、ヴァレリーの詩 風立ちぬ いざ生きめやも・・・。 を高山社跡が再び息を吹き返している姿を...
Read more残念ながら、本来あるべき建物等解体されていてほとんど何もなく、あくまでも建物跡(ブルーシート)しか残っていない。 価値のないトイレが残っているぐらいで何もない場所の見学に500円の見学料は正直残念です。
ただそれ以上に残念なのは、午前中で見学者が少ないからたくさん解説すると希望していないのに説明を始め、時間が無いからと遠慮しているのに強制的に説明を聞かされたのは苦痛でした。
何も見学するものがなく、恐らく見学者の不満が多いのを解消しようとして、なんとか養蚕学校の文化的意義を伝えて見学の価値を見出してもらいたいのかもしれないが非常に迷惑でした。
お金を払って観るものがない場所で、聞きたくない説明をされるのは苦痛です。
お勧めの観光ルートとして、情報館で説明を何分か受けてから、見学することを看板で強く推奨してましたが、これもなんか違いますね。
観るものがないので、わざわざ無意味な情報館と和傘を置いた今どき風の竹林ルートを通らせる流れになっていましたが、これまで外国や国内で観た世界遺産の中で比べても最悪のものです。
アルハンブラ宮殿やカルタゴ遺跡、シャルトル大聖堂、日光東照宮とかとは比較以前のレベルです。
時間とお金を失って大変残念なうえに、...
Read more^_^
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